Unknown@Presence

色々あれこれ。

その13 知ったかぶり

 白河夜船、ってどういう意味だっけ。
 ググろうとして、やめた。たまには辞書でも引いてみるか。けど、どこ行ったっけ。
 引き出しの中なのに、埃かぶってる。確か、PCのおまけについてたやつだ。箱に入ってて、字も大きくて見やすい。あ、そうだ、広告ついてないんだ。
 しらかわよふね。爆睡してて何が起きたか分からない、あるいは知ったかぶりをすること。
 あ、そういえば昔、親父が「白河夜船で切り抜けるのさ」ってよく言ってたな。子供のオレは「白川呼ぶね」だと思っていた。いざ危なくなったら「白川呼ぶぞ!」って脅かせばいいんだ、って。
 オレは親父には全く似ていなくて、親父が得意なものにオレは興味が持てなかったし、オレが好きなものを親父は理解しようとしなかった。
 そして、ありがちだけれど、オレが息子として親父に理解されたがっているのだ、と思い込んでいて、普通にいろいろと面倒だった。
 でも、もう面倒はない。親父が他界して、今日で四年になる。
「なんだか、いないほうがいいね。いいことばっかり思い出すから」母が言う。そうかも知れないな。
 知ったかぶりと言えば、最近オレはちょっと知ったか野郎かも。スキミング、もちろんオレはしたことはない。どうすればできるか、雑誌を読んだりして何となく分かるだけだ。
 クレジットカードやキャッシュカードの読み取り機械の中に仕込まれているカードリーダーが口座番号や暗証番号を盗むのが主流だけど、小さなカメラが入力される暗証番号を撮影して盗む、っていうのもある。カードのデータは前もってスキャンしておくので、カードは被害者の手許に残る。だから、盗まれたとは思わない。
「この頃は一つの口座から大量に盗むんじゃなくて、手数料を装って少しずつ盗むらしいね。そうすると誰も気づかないから」武田さんも気になってるじゃないか。
 でも、蒼井君の言う通り、オレレベルのやつに勘づかれるようじゃ素人だろう。だがしかし。素人だからこそ大胆なことをするのかも知れない。
「実際のソーシャルって、新入社員のふりして聞き出すんだって」でもその手は大きい会社でないと使えないよね。「俺、わりと小さい会社好きでしたよ。Webサイトの再構築で一ヵ月だけいたんですけど、新年会とか呼んで貰えて」へー。「レアものの酵母とかを輸入代行してる会社でね。生き物だから死んじゃだめだけど増え過ぎてもだめなんだって」じゃあ半殺し? って言ったのは武田さん。
「冷凍で眠らせてるらしいっすよ」起きなかったらどうすんの。「なんかね、保険があって、60パーセント以上死んじゃったら保険金出るんだそうですよ」「生命保険なのね」「じゃあ起こしといて増やせばいいんじゃないの」「それがね、三回以上分裂した酵母は、価値が三分の一になるんですって」へー。
「私は外資が好きだったけどね。広々してて」「体大きいからですか、外人て」「ううん、外資ったってほとんど日本人」「でも、英語でしょ」「うん。筆談だけど」筆談?
「だって、ヘルプデスクだからさ、言葉で説明するの難しいもん。こういうアラート出たらこういう操作して下さい、って画像張り付けるの」「それって、メールでしょ」「メールって筆談でしょうが」「た、武田さんて、昭和ー」「なにさ、メールって究極のとこ電子筆談じゃないよ」
 確かに。でもどっちかって言えばチャットのほうが筆談ぽいけど。
 考えてみれば、ヘルプデスクなんていうのも昔はなかった仕事だ。
「フロッピーの前はカセットにデータ入れてたもんね」「カセット、って何ですか」うへえ、最近のヤングはカセットも知らないのか。
 パーテーションをとっぱらったので、昼飯時には蒼井君のマイ電気ポットでお湯を湧かしてもらう。武田さんは漬物を作るのがすごく巧い。キャベツの酢漬けとか、胡瓜の醤油漬けとか、プチトマトのピクルスとか。
「こんなに料理巧いのになんで結婚してないの、とかいうのは、なしだからね」武田さんは自分のために自分の好きなものを作るのが好き、なのだそうだ。
「子供向きの料理なんか作ろうとも思わない」まあ、こういう漬物はお酒に合いそうだね。
「なんだかんだで、あと一ヵ月だね」「うん。延長ってなさそうだしね」「うーん、されても困る。次が決まってるから」「え、どんなんですか」「短期でね、友達の友達の会社の経理」「え、なんか武田さんのイメージじゃない」「どういう意味よー」
 最終日には打ち上げでもしようか。駅前の居酒屋で割り引きチケット配ってたな。今日も配ってるだろうか。

その12 パーテーション

 にしても、なんであんな鼻が赤いんだろう。
 そういえば、赤城さんはビルに入ってきたことがない。緊急連絡用っていいつつ三日おきに掛かってくるケータイで、外の喫茶店に呼び出される。赤城さんはいつもふうふう汗をかいていて、水ばっかり飲んでる。チノパンのお尻がテラテラになってるのに最近気づいた。気づきたくなかった。
「で、どうですか」エクセルの質問に分析ツールっていうのが出てきて、実は俺は統計関数フェチなので、帰無仮説っていう言葉もすぐに分かったよ。へへ。でも赤城さんには話さない。
「はい、大丈夫です」有意だったりなかったりするんだよ。有意だとちょっと嬉しい。でも話さない。
「そうですか。困ったことはないですか」
 実は、今朝一番に困ってた。
 武田さんのぎゃあが聞こえて、白川さんが飛んできた。
「大変大変」と言いながら、白川さんは笑ってた。武田さんと白川さんの間のパーテーションが外れたのだ。
「あーあ」「上のネジが根元から折れてるね」「危ないなあ」「いっそのこと、全部とっぱらっちゃおうか」
 ということで、俺は7階に道具箱があったのを思い出す。ドライバープラス、4本ある。
 パーテーションはカーテンレールに吊るされていて、床に軽く止められる、という形式。
「部屋の中の、対角線のパーテーションだけ外そうか」
 そういえば、俺の部屋にはもう一本カーテンレールが走っていた。あ、他の部屋にもある。
 三人で外すとあっという間だ。ああ、すっきりした。パーテーションの体積分も広くなるんだもんな。そんな話読んだことあるよ。事務所は面積単位で借りてたり税金払ってたりするんだら、面積の無駄遣いはまんま経費の無駄遣いになる、って。
 机を島状に集めてきた。うわ、ほんと広いな。
 あ、武田さんとこのロッカー、使わないんだったら貸してもらおうかな。
「あ、キャビネットみっけ」「それ、鍵壊れてますよ」
 ふふん、と武田さんは鼻を鳴らして、鞄からヘアピンを出してくる。鍵穴こちょこちょ。開いた。閉める。ちゃんと開く。女ドロボー。
「ほんじゃロッカーあげる」「うわ、ほんと臭いな」でも俺はマイ消臭スプレーを持っているのだ。
 そんなこんなも、話さない。「はい、ないです」
 白川さんはテンキーじゃなくて文字キーの側で数字入力する癖がある。すっげえ早いけど。武田さんはかな入力だ。「80年代にはね、みんな親指シフトキーだったのよ」何それ。
 俺は何だろう、画像の加工かな。切ったり貼ったりするのは早いと思う。ソフトの使い方を説明する時、ボタンの周りを囲って矢印を引っ張ったりするのも早いと思う。
 2ヵ月近くやってると、どんどん早くなっていく。でも、話さない。
 当然だけど、白川さんのスキミング説のことも話してない。あれからも時々昼間にその話題が出たりする。IDカードからスキミングしようと思うと接触させないと無理だし、もし接触しないでデータを取れるにしても、あまりに効率が悪過ぎる、と武田さんは効率論だ。
 もしかしたら非接触チャージ式スキミングのテストかもよ、と白川さんはちょっと面白がってる。俺は、何かあるよなーという気はするけれど、それが何かは良く分からない。
 悪いやつは物凄く頭がいいから、俺が分かるようなことはしないのだ、きっと。
 そんなことより、夕べ姉ちゃんにパーテーションとっぱらって武田さんと白川さんと同じ部屋になってさ、と話してたら「あら四神じゃないの」と母ちゃんが言ったので、驚いた。
 母ちゃんは今だに髪の先に縦巻きカールしてるような人だけど、人の話に口を挟む人じゃないからだ。あ、もしかしてヨン様がらみか。
「そうよ。四方にはそれぞれの神様がいるのよ」「しほう、って何よ」「東西南北」「それが何でししんなの」「東が青龍で、西が白虎で、北が玄武なのよ」「だから青春、っていうのよ」と姉ちゃん。
 なんで。「東西南北は春夏秋冬にあてはまるからね。でも、それだと南がないね」「南は何なの」「えと、朱雀。朱色だから赤ね」「あ、赤、あ、ない、赤はない」「え、ないの」「ないないない」赤城さんは入れない。

その11 スキミング

ID

 男臭いっていうのは初めて聞いたよ。それとも、近頃のヤングの間ではそれが流行りなのか。
 白川くんが言っていたことを、ちょっと考えてみる。
「それって、スキミング?」
 確かに、三人とも大きな電機関係の会社がある駅の近くに住んでいる。
「私はID下げてるのは見たことないけどね」
 あのIDなのにIDじゃないものを渡された時、うっかりして改札にかざしてしまった。チャージカードを交通費代わりに支給されたことがあったからだ。
「そういえば、あの時反応だけはしたような」反応は一回だけで、それきりだった。
スキミングしようと思ったら、多分バッテリーが必要だと思いますけどね」あっ、もちろん俺そんなことしたことないっすよ。蒼井君。
「けど、会社のIDスキミングしたとして、どんな利点があるんだろう」白川君、スキミング前提だよ、それじゃ。
「うーん、IDにアクセス機能が入ってたらネットワークに入れるかも知れないけど。口座とか住所とか堂々とサーバーに乗っけてるところあるからね」「でも、そこまで行くにはパスワードあるでしょ」「たいていはカードの中のパスワードと同じにするからね」「セキュリティに引っ掛かるでしょ?」「社内のLANてわりと甘いみたいだよ。友達が社内LANのセキュリティきつくしたら遅くなるって怒られたって」「まあ、普通は社内LANはラインでデスクトップにつながってるから」「あ、そこは無線LANだったって」「うえっ、こわっ、それはスキミングしなくても取りほーだい」「うん。んで友達は怖いから契約更新しなかったって」
 システムを外注するにせよ社内でまかなうにせよ、せめてサーバー管理くらいはちゃんとしようね、みんな。
「オレも経験ありますよ。一つのフォルダに全部ファイル入れちゃうんで、使いにくいでしょ、って言ったら逆切れされて」「あー、あるねー」「まあ、俺の言い方も悪かったのかも知れないけど」蒼井君はそういうところがある。若いのに年寄りを馬鹿にしない。ま、私の世代が年寄りも若者も馬鹿にし過ぎなんだが。
「赤城さんに聞いてもちゃんと説明してくれないしね」「うん。タイムカードの代わり、って」「うん。あんなカード、他の派遣でもらったことある?」「タイムカードがはっきりニ枚あったことはあるけど」「・・あれ、分解してもいいっすかね?」
 うーん。三人の共通点。危ない橋は渡らない。
「壊れた時に赤城さんに説明するのがめんどくさい」「うん。スキミング疑ってたんですとも言えず」「踏んだら割れた、っていうのはどうですか」「んじゃ蒼井君踏みなよ」「えっ、んと、えーと、なかったことにしてください」
「っていうか、この仕事事体危ない感じしませんか」
 そう。電話一本顔合わせ無し。管理者いない。何の役に立ってるのかも分からない。
「多分、入力が間に合わないデータとかが回ってきてるんでしょうけど」白川君。
「最近のヘルプデスクは時間単位でお金取るらしいから、なるたけヘルプに質問しないでネットで質問しろ、ってことになってるのでは」蒼井君。
 そうなると、つまり白川君のスキミング説は崩れるのでは。「え、なんで」この仕事に意味があるんならスキミングの必要はない。「え、どうして」スキミングが主とした仕事、っていうか目的なら、内容のある仕事を用意する必要はないのでは。
「うーん、その辺がやつらのやり方じゃないですか」「やつらって」「え、なんか、どっかのなんかのやつらっすよ。そいつらはきっと頭ばっかり良くて、悪いことばっか考えてんですよ」
 頭がいい。
 たぶんおそらく、三人は同時に赤城さんの顔を思い浮かべた。

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その10 410点

ホール

 オレは410点だったよ。でもちょっと言い訳させてもらうと、マークシートがずれてるのに残り20分で気づいたからなんだ。だから2回目は520点になった。派遣会社によっては三千円で受験させてくれるので、年に一回は受けることにしていた。
 でも、600を越えたのは一回だけ。だから去年は受けなかった。
 人間には伸びしろというものがあって、オレのTOEICの伸びしろは630か、せいぜい650なんだと思う。他の試験は落ちたことがないから、それが限界なんだろう。
 うどん一杯680円はキツイ、と武田さんが言ってくれたので助かった。オレもカツ丼700円は困る。野菜少ないし。
 それより、部屋の共有スペース、みんなはホールと呼んでいる、そこに例のソファと一階のロビーの椅子とテーブルを一組運んできて食堂にすることにした。
 このビルは元々何だったんだろう、という話になる。腹ごなしにビルの中を探検だ。
 ビルは、ターミナル駅から伸びる商店街の端、東に線路に沿って2ブロック、南に曲るとある。あたりはすっかり普通の住宅街になる。このビルは7階建てで背が高い方だけど、間口は狭い方だ。
「一階は受付があったみたいっすね」蒼井君は各階をざっと見てきたことがあるらしい。
 確かに、床に受付のブースの跡がある。自動販売機がずらーっと並んでいて、形も色もバラバラの椅子やテーブルがこれもまたばらばらに並べられている。
「ホテルじゃないな」ホテルにしては、いくらなんでも床面積が狭過ぎる。フロアごとにシングルルームが2つも入らないだろう。
「いや、ドア開けたら一歩でベッド、っていうホテルでテレビセッティングするバイトしたことありますよ。あそこの広さなら4つはいけそう」「うわあ、いけたくない」
 オレ達がいるのは4階で、男女両方のトイレがあるのは4階だけらしい。5階と6階には事務所があって、ハンカチで手を拭きながらサンダルをつっかけて歩く紺色の制服の女の人を時々見かける。
「でも、きれいに使ってる方だと思うよ。女子トイレに化粧ポーチが山積みになって下の方が黴生えてたりすることあるもん」
 武田さんて化粧してるのかな・・してるみたいだ。分かんないけど。
 7階には何もない。といっても事務所の残骸のようなものはあって、埃をかぶった机にとても古いPCが乱雑に積まれていて、あんまりなので横倒しになっているのを起こしたりした。
 丸くなっているのは4階まで。3階には歯医者が入っている。2階は塾になっていて、夕方にはランドセルの子供が出入りする。
「あの子ら、妙にちゃんと挨拶するんすよ」「ああ、最近の子供はね、大人を見たら挨拶しなさいって教えられるんだって。んで挨拶し返してこなかったらそいつは犯罪者なんだとさ」「えーつ、それでが、俺、挨拶しなかったらすげー睨まれた」「蒼井君怪しいもんね」「ええーっ」
 武田さんと蒼井君は話のリズムが妙に合う。
「こうしてみるとうちって結構広いっすね」「所有格かよ」みたいな。
「なんか俺、武田さんみたいな人初めてっすよ」「何よそれ」「いや、そんな深い意味じゃなくて、いや、深くないけど意味がなくはないんすよ。俺の周りで武田さんみたいな、なんていうかさばさばした人いなくって」「さばさば?」「あの、悪い意味じゃなくて、ざっくりっていうか、すっぱりっていうか、でも、男臭いっていうじゃなくて」
 男臭い。失礼この上ない。

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その9 495点

 やっぱ武田さん、俺の母ちゃんよりも年上だ。
 TOEICの話になって、俺が無料だったから受験してみたら495点だったって告白したら、武田さんは初めて受けた時は415点だったって言った。
「勝ったあ!」って言ってやったら、「私の高校時代に始まったんだからしょうがないよ」って訳分かんないこと言ってた。TOEICは79年に始まってるから、えーと。
 でも、若く見えますね、とは言わなかった。俺の姉ちゃんがいつも言うんだけど、むやみに若く見えるって言うのは失礼なんだって。ねえねえ私いくつに見える、とか聞かれたら適当に若めに言ってやればいいらしいけど。
 俺の姉ちゃんはなんか物知りで、ちょっと浮ついたところのある母ちゃんより実は年食ってんじゃないかっていう噂もあったりして、いろんなことを知っている。
 今度のハケンの部屋って蜂の巣みたいになっててさ、と話してたら、姉ちゃんは「これ読んでごらん」と本をくれた。くれたんじゃなくて貸してくれたんだけど。
 仮面ライダーのミイラみたいな表紙だったので最初はびびったけど、なんか、とてもよく出来てる本だった。
 アメリカでアーモンドの受粉に使われてる蜜蜂が消えている、っていう話だった。小説じゃなくてドキュメンタリーなんだけど、うまいことできてて、俺は不覚にも三回泣きそうになった。
 寿命を迎えた蜜蜂が死んでいくところ。交尾を終えた雄の蜜蜂がポイ捨てされるところ。
 そして、蜜蜂がいるのは役に立つからじゃなくて、花畑で蜜蜂が機嫌よくぶんぶんしてると楽しいからだ、っていうところ。お母さんが家にいるとトーストにジャムを塗ってくれるから、じゃなくて、お母さんがいると嬉しいからだ。それでいいんだよ、っていうところ。
 うちの母ちゃんも、ヨン様のことを今だに好きで、父ちゃんにマフラーをヨン様巻して喜んだり、半年に一回は友達と韓国に旅行に行ったりしてきゃあきゃあしてるんだけど、いてくれると嬉しい。
 俺はヨン様のドラマに出てくるヒョンとかいうのに似てるらしくて、小さくなった学生服を無理矢理着せられて写メ撮られてヨン様仲間で回されたりした。
 そんな母ちゃんでも、いないと寂しい。
 俺が蜂のことにちょっと詳しいのは、俺が中退した高校の学年主任が蜂の研究をしていて、一年生は必ず講演を聞かなければならなかったからだ。その先生(みんなハチと呼んでいた)は、俺が退学するころには退職していて、たぶん俺はハチから蜂の話を聞いた最後の学年になるんだと思う。
 でも、アジアの蜜蜂はズズメバチに団子状に群がって羽を高速で動かして体温を上げることで、スズメバチを熱で殺してしまうんだ、って話は初めて知った。
 姉ちゃんもそれはこの本で初めて知ったらしくて、「日本人みたいだね」って言った。
 うーん、そうかなあ。確かに、蜂団子の中の方の蜜蜂は死んでしまうから犠牲的精神ってとこなのかも知れないけれど、日本人て、そういう戦略持ってるかな。敵の周りでうろうろしてるだけな感じだけれど。むしろ西洋の蜜蜂みたいに、一匹ずつぺっぺっぺっ、って感じだけどな。

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その8 ナミ

何かに似てるなあと思っていたら、最初に思っていたものだというのを思い出した。年か?
 いや、年を言い訳にするのはやめよう。ちょっとアホなだけ。
 アホといえば、今日の貼紙はアホだったな。私の部屋のドアに貼紙が張ってあるのはいいのだが、「←→です。明日一緒に昼メシ行きませんか? 12時に」って、広告の裏にマジックだ。
「12時」だけ字が違うのはどっちが書いたんだろう? 丁寧だから白川君の方か。
 私は8時半4時半あがりで、白川君は9時5時、蒼井君は9時半5時半みたいだ。私は朝食を7時に食べているので、昼は11時からにしている。
 人っ気のない給湯室には熱湯が出る大きな湯沸かし器があるのだが、蛇口のところにべっとり白いものがこびりついていて、たぶん大丈夫なんだろうけど気持ち悪いので、お茶はポットで持参してくる。べっとり白いもの、あれは水道水内のカルシウム。役に立たない知識。
 腹減ったなと思いながら12時まで待ってドアを開けたら、またアホだった。
 白いソファに座った男が二人、足を組んでこっちを向いていたのだ。ホストかあんたら。
 しかも、同時にパッと立ち上がって、妙に丁寧をおじぎをするのだ。
 やめてくれ恥ずかしいから。
「白川さんが言ったんですよ、からかってやろうって」「ソファ持ってきたのは蒼井君だよ」「どこにあったのあんなもん」「なんかあそこ、もとは待合室かなんかだったみたいですね。俺の部屋にあったんすよ。みんなないですか」「私のところはロッカーあるよ。臭いから使わないけどね」「オレんとこには最初、パーテーションが床にばらばらに積んでありましたよ」「ええっ」「なんか、なんだかなー、ですよね、あそこ」「ほんとだね。寒いしね」「まぶしいしね」「うるさいしね」
 がら空きのうどん屋で、からから笑う。素うどん一杯四百八十円。隣の牛丼屋は並んでる。デフレな生き方は嫌いなので、天ぷらうどんにする。六百八十円。イタイ。
「まあ、ちょっとはましになったけど。あ、そうだ。あそこって蜂の巣に似てると思わない?」
 思い出したことを言ってみる。
「ああー。でも、六角形じゃないですね」
 やっばり。白川君は虫の話が好きそうだ。
「んじゃ武田さんが女王蜂っすか」
 蒼井君もか。
「なんであんな細かく区切るんだろうねえ」
 海老天の尻尾を食べたら、白川君がちょっと驚いた。
「もっと細かいの知ってますよ。ドアがぶつかりそうなところにすぐパーテーションがあってね、狭ムい廊下になってた。暗いのなんのって」「そんなとこで働いてたの?」「ううん。顔合わせだけで向こうから断られた」
「ああいうのって、パーテーションの分狭くならないですか」「ふふん」「あ、武田さん、なんか不敵な笑い」「あれって外資の真似よ。外資のキュービックが高くなり過ぎてああなったの。昔はあんなのどこにもなかったね」「昔って?」
 おっと、来ましたよ。
「昭和のオフィスあいや事務所はね、みーんな役所みたいで、煙草の煙で向こうが見えなかったもんなのよ」「へーえ」「でも、PCって煙草に弱いからさ」「煙草がなくなったのと、PCが入ってきたのと、どっちが早いんですかね」

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その7 ユウヤ

西

 今日はびっくりしたな。北口エロか。
 三條電機はそのまんまだな。三條畑の手前に三條前があって、そこから三條電機の工場の人がどっさり乗ってくる。三人に一人はIDを首にぶら下げたままだ。写真もついてるのにな。外すように言われないのかな。
 オレも入館IDを持ってたことがあるけど、洗面所で濡らしそうになるので引き出しに入れておいた。そしてそのまま忘れて帰って入館できずに叱られたことがある。
 偶然、なんだろうか。オレが三條電機、蒼井君が北口エロじゃなくて北口エレクトロニクス、武田さんがたぶん長尾電子の近く、っていうのは。
 他の会社の人たちも、ああしてIDをぶら下げているんだろうか。
 三日おきにやってくる赤城さんは、半月に一回、オレが持たされているIDを回収する。代わりに新しいのをくれるのだが、妙にがっちりしたケースに入っている。
「これって何のためのIDですか」
 入館IDにもいろいろあって、写真付きで警備員に見せるものや、ドアキーになっているもの、PCのパスワードが入っているものもある。でも、このIDはどれでもなくて、キーにも証明書にもならない。
「えーと、あの、よく分からないんですけど、白川さんのタイムカードの代わりのようなものです」「タイムカードは別にあるじゃないですか」「いえ、その、それ以外に、私とこうして面談しているという証明のようなものなんですよ、うまく説明できなくてすみません」
 顎を突き出して、ぺこぺこと謝る。どうして赤城さんの鼻はいつもあんなに赤いんだろう。陽焼けにしてはちっとも黒くならないし。まさか名前に赤が付いてるからとか。んなわけないな。
 いつものことだけれど、赤城さんの話には少しも集中できない。何でも言って下さいね、と毎回念を押すわりには何も知らないみたいだし、調べておきます、聞いておきます、と言っておいてそれっきりということがしょっちゅうだし、あきらめて自分で何とかしてそれを報告すると、言ってもらわないと困るんですよ、と言うし。
 メモは取っているみたいだけれど、あんな穴だらけじゃメモにならない。
 まあ、しょうがないか、三ヵ月だし。前の仕事の契約が満了して、一ヵ月くらい休んで勉強でもしようかと思っていたら電話がかかってきて、その場で決まった仕事だ。交通費は出るし時給も悪くない。期間が短い仕事はわりと好きだ。時間内にきちんと仕上げれば定時で帰れるし、人間関係を作る必要もない。
 といっても、自然に出来てしまう関係もあるけど。

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