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色々あれこれ。

週末バイオリン継続中。

チューナーも買った事だし音合わせ楽勝で、週末バイオリンは続いているよ。新しいバイオリン教本の1と2を行ったり来たりしつつ少しずつ指の感覚を取り戻しているところ。

メリーさんの羊が基礎曲になってる。イギリス民謡なのね。英語だとMary had a litte lamb.過去形なんだ。

まずはシャープふたつのニ長調、D線から始めます。

D線上のメリーさん。D線は二番めに低い音で、弦が柔らかくて押さえやすいし弾きやすい。まず1の指、左手の人差し指を正確にとってから2の指、中指を押さえます。

楽譜には「もちろん楽譜に示すとおり1の指は押さえたままであること」ってあるんですが、私は指を一本ずつ押さえる癖があるのだ。しかも薬指の上に中指を重ねる癖まであるんだぞ。すごいだろ。なので全体的に音が高くなる。いかんいかん、基礎から正確に。

D線上のメリーさんをちゃんと弾けるようになったら次はA線上のメリーさん。音は高くなります。いくぶんテンポは早めに。

次はメリーさんの羊重音練習。うへえ難しい。弦を二本いっぺんに弾くということは指が弦をちゃんと押さえてないとダメってことなのよ。一本だけ弾くのなら弾かない弦に触れてても支障はないけど、重音になるとばればれ。

最後にメリーさんの羊変奏曲。D線とA線を交互に弾く。A線は開放弦でいいけど、これも難しい。ボーイングが正確でないと弾いちゃいけない弦に引っかかる。

いやあ、基礎って大事。だいぶ指の感覚が戻ってきましたよ。来週もちゃんと練習しよう。

おめでとう100刷。新しいバイオリン教本1。

暑さがちょっと落ち着いたので週末バイオリン再開。何年振りかで楽譜買いました。

音楽之友社の新しいバイオリン教本1。第1刷はなんと1964年6月20日。私と同い年ですわ。そして今回買ったのは2018年4月30日、記念すべき第100刷版です。ぱちぱちぱち。

音楽之友社って東京新宿神楽坂にあるのですね。かっこいいやなんか。東京の地名ってかっこいいよなーやっぱなー。

序文も昭和39年になってます。中の写真や解説もしっかりしているので、初版のまんまなんでしょうね。バイオリン持ってるセーラー服の女の子、可愛いです。ショートカットかっこいい。小磯良平の女子学生みたいです。

バイオリン各部の名称。直訳でなくちゃんと日本語になってます。先っぽのぐるぐるってなってるところ、うずまきっていうのです。古い小学校の手摺みたいなの。

でも、ボーイングは英語なのな。弓の上げ下ろしのことです。確かに日本語にするのは難しいなあ。

バイオリンで一番難しいのはボーイングです。ピアノだと鍵盤をポンとすればとりあえず音がするけど、バイオリンはまず構えて、弦を左の指で押さえて、右手で弓を持って、駒とまっすぐになるようにボーイングしなくちゃならない。

でもね。できると楽しいのよ。

幼稚園くらいからピアノを習ってました。そんなに下手じゃなかったと思う。中学の部活動でバイオリン、高校からは独学でギター、すぐ弾けるようになったけどアルペジオ止まり。

バイオリンは、自分が弾いてる弦、自分が押さえている指の先を見ることができる。見ながら弾いてもいいの。楽器の向こうに楽譜があるから。

ピアノは手元ばっかり見ていたらかっこ悪いし、ギターも猫背になっちゃってブサイクだし弾きにくい。指先で鍵盤の位置や弦の感覚を覚えないとうまく弾けない。

バイオリンは自分の左手を見ていてもいい。もちろん指の感覚も大事だけど、手の形をチェックしながら弾いてもいい。

ボーイングが上手にできるようになったら、いろんな曲を弾けるようになります。

そうそう、バイオリンはチューニングも結構大変。

しかーし。今はいいチューナーがあります。楽譜と一緒に買ったのはYAMAHAのTD-19BK。黒くて小さくて、ああ、可愛い~~。

中学の部活動でもチューナーは使ってましたが、みんなと一緒に使わなきゃいけないので取り合いでしたというか順番待ちでした。弁当箱くらいあって、重くて、電源コードが長々とついていて、ダイアルをばちばちって合わせて、マイクの前で基本音を出してました。

それに比べてTD-19BK、譜面台にちょんと乗せることができます。基本音を出すこともできる。ダイヤル回して音を合わせなくていい。というかダイヤルついてません。小さい白いボタンがついていて、簡単操作。

いい時代になったなあ。ってことで、また練習します。

これはテレビゲームの話なのね

今週のお題「ゲームの思い出」

1983年にファミコンですか。そうですかー。最初に買ったテレビゲームはアタリです。見た目はかっこよかったけど、すぐに壊れたのでファミコン買いました。テレビのアンテナに繋いでしてました。目が疲れるので長いことできませんでした。

次はパソコン。NECの88シリーズでゲームです。ほとんどキーボードを使わなかったという。フロッピーディスクのでっかいやつを買ってきてぐいっと差し込むのですよ。カセットテープにバックアップできる程度のデータ量でしたね。

友人が働いていたゲーム会社に出入りしていたので、社員旅行に格安で連れてってもらったりしました。ハワイでした。海外旅行はそれきりしてません。バブルな時代だったのね。

ファミコンの次はスーパーファミコンディスクシステムも買いました。ミニゲームが500円で買えました。あれは楽しかったなあ。ウルトラマンが出てくるやつとかさ。

次はプレイステーション。CDにゲームが入ってるの。ゲームフェスとかあったなあ。デモ版をもらって嬉しかった。ソニーのゲームが一番好きだ。DSはあるけどあんまりしたことない。ゲーム機が小さくなって画面が小さくなるとしなくなりました。

そんなこんなで昭和も終わり、ネット社会がやってきます。Macに出会ったのが1997年。さめがめ好きでした。でもねそれくらいからゲームしなくなりました。

どうも私は小さな画面が好きでないらしくて。携帯はいまだにPHSNicoだもの。メール打つの嫌いですもの。

ゲームそのものは下手ではないです。シューティングとかうまい方だと思います。パズルとかも早いし、落ちゲーは得意です。

年取ったからかなあ。視力は落ちてます。

でもそれだけじゃない。

仕事が、ゲームみたいになったんですよ。

大量のデータを落としてきて色々いじる。ツール作ったりマクロかましたり。グラフにすることもあるしテキストに戻してデータベースに入れることもある。

今はしてないけど、在庫管理で時間が決まってることもあったしね。毎日締め切りなのよ。今思えばあんなに急いで入力する必要は全くなかったんだけど、金曜なんか三日分入れるのでハイになったりしました。

今回の仕事のデータは時系列にも絡むので、ほんとゲーム感覚。どんなキーで絞るかで出てくる結果が変わってくる。

人生はゲームじゃないけど、仕事は結構ゲーム。

今週のお題「2018年上半期」

しばらく書いていませんねどうしましたかメールをもらってしまった。

遅ればせながら、「チョコミント」書きます。

そういえばいつもチョコミントだった。

駅前のアイスクリーム屋で友人がアルバイトしていて、公務員だった私は電車を一つ乗り越して友人の顔を見に行っていた。友人は浪人中、私は受験に失敗して滑り止めの地方自治体にブツブツ文句言いながら通っていた。

いつもチョコミントやな。友人は言う。うん。好きやもん。水色のミントの中にチョコレート。けったいな組み合わせやな。うん。美味しいで。

ミントの水色がチョコの色と混じっていく。ミントの清涼感は嘘くさくて、甘過ぎるチョコはそれでも苦くて。

宙ぶらりんな十代の終わりにふさわしい気がした。

それから10年後私は学士になり、友人も先月大学を卒業したはずだ。

あの駅は古いけれど風格があって格好良かったのにどこにでもある駅舎になり、駅前は相変わらず景気が悪い。私は公務員は五年で辞めて、間にフリーターやら何やら挟みつつ、ハケンになってもう10年過ぎた。

あの駅のある町は相変わらず退屈で、実家に帰ってもちっとも落ち着かない。友人は地元のいい感じに優良な会社の社員になった。

もうチョコミントでもないかな。

アイスクリームの自動販売機の前を通り過ぎながら思う。今働いている会社は割と気に入っている。体の奥からふつふつ湧いてくる苛立ちを治めるために舌を冷やさなければならないほどには、機嫌は悪くない。それに、歩きながらアイスクリーム食べられるほどにはもう若くないし。

でも、忘れたくはない。田舎町でくすぶっていた頃、何を話すでもなく訪れた店先でアイスクリームを掬ってくれた友人の笑顔と。その他にも、もう顔も名前も忘れてしまったけれどわがままで勝手な私と友達でいてくれた、意外に大勢な人たちと。

 

そういえばというか。

その友人と週末に会う約束してたんだけど、電車走るのかな。

今週のお題「修学旅行の思い出」

小学校は伊勢。三重県ですな。母の実家が三重県にあるので、祖母が見送りに来てくれました。母の実家は商家でお米屋なんだけどその頃はお花も扱っていたのです。だから立派な花束もらいました。

まだフラワーアレンジメントなんて洒落たものがなかった時代で、レース柄の透明なセロハンに守られて、大きな紅色のガーベラや可愛いマーガレットがこっち向いてました。

でも私は写真があんまり好きじゃなかったので花束を持った写真はあんまり残ってません。代わりにというか、担任の先生がまるで自分のもののようにして写真撮ってました。学校の先生ってやっぱり大人気ないなあって思いました。

その頃は体が弱かったのでたった一泊の旅行でも疲れ切ってしまって、駅まで迎えに来てくれた母が漕ぐ自転車の荷台で眠ってしまいそうになったのだけよく覚えています。

中学は九州。長崎です。こちらも父の実家があったところです。だいぶ前に神戸に出て来ているのでお見送りはありませんでしたが。

普通の観光旅行です。新幹線です。九州に行くのは初めてで、博多ってどんなとこだろってみんなでワクワクしていたら普通の都会で、みんな一斉にちょっとがっかりしてました。

小学校の頃より少し丈夫になりましたがバスには酔うので、酔わないようにバスの中で大騒ぎしてました。お土産に買ったドライフルーツのパイナップルが美味しくて、気が付いたら全部食べていました。

高校はスキー。長野です。夜行電車で行くのです。スケートはしたことありましたがスキーは初めてでした。体育の授業の延長でした。

大きなお寺の境内を散歩していたら大きくて美味しそうな林檎が売られていたので試食したら薔薇の香りがしてすんごく美味しかったので一個買いました。バスの中で歌を歌いながら丸かじりしました。

修学旅行じゃないけど高校の友達や後輩と一緒の旅行もしました。淡路島です。橋が架かる前なので船で行きました。海水浴の予定が台風が来て散々でした。しかも泳げないので昼間から酒盛りして、私だけ二日酔いでした。すみません。

夏は家族で海水浴したり親戚とキャンプしたり、子供の頃の夏は旅行ばっかりしてました。だから修学旅行はちょっと窮屈でした。

でも多分、みんな口にはしないけどあれが最後の旅行になった友達が何人かいて、その時はもちろんそんなことは想像もしていなくて、修学旅行というとそれを思い出して、ほんのちょっとだけ、悲しくなります。

今週のお題ゴールデンウィーク2018」

ひと月ほど前から、バイオリンを弾き始めている。習い始めたのではなく、ずっと弾いていなかったのを久しぶりに取り出して弾いてみようということだ。

なんせ久しぶりなのでA線が切れとった。A線はピアノでいえば真ん中のラの音。一番の基本の弦が切れたのだった。

で、職場の近所で発見した楽器店で弦を入手。なんせ10年以上弦は買ってなかったので、古い弦の袋を持参して探す。意外にも値段はほとんど上がっていない。千円弱。ってことは昔は高かったんだなあ。

いそいそと買って来た弦を張ってまずは音合わせ。チューニングだわ。でもうまくいかない。Aが低い気がする。なんでよー。張りすぎて駒が倒れてしまった。これは弦が違うのじゃないか? 隣のDなんじゃないのか? あくまでも疑い深い私。

弦を取り外して楽器店に持っていく。これってAで間違いないですか。新しいのと比べてもらう。当然のことながらそれはA。Aだけ新しいから強いんじゃないですか。なるほどそうか。

で、今に至る。なるほど、一ヶ月ほどでAは落ち着いてきた。

そしたら今度はもっと正確にチューニングしたくなった。そうだ、今は昔よりいいチューナーがあるはずだ。弦の値段が変わらないんだからチューナーはもっと小さく手軽になっているはず。

その通り。ネットで色々見つけた。チューニングの方法の動画まである。お、この人私と同じ教本を使っているわ。いいよねあの本。

先生の名前は久保木隆文さん。説明が丁寧。分かりやすいよ。先生が使ってるあのチューナーいいと思ってたんだ。また買いに行こうっと。

あっ、メモ用の鉛筆落っことした。ははっ。でも動じない、続ける。なんか、いい人だなあ。

私は人に教えてもらうのが好きじゃないけど、こういう動画は参考になるなあ。中学の部活でしか弾いてないから、細かい技術とかは教わってないしさ。

ただ一つだけ、久保木先生。せっかくいいサイトなのに、変なリンクが付いてます。消したほうがいいと思います。

わたしの転機。

はてなダイアリーでハケンの畦道っていう日記を書いている。ブログにはあんまり仕事のことは書いてないけど、今回のお題、いぬじんさんの投稿とか読んでいて思わずウルウル来てしまったりしたのでお礼というか、書きます。

わたしの転機。

いつだろう。

実はわたし、一回も会社員になったことがありません。最初に働いたのは地方自治体なので、入社じゃなくて入所なのだよ。。

地方公務員は大学の滑り止め。大学に受かってたら行ってない。だから転機というより方向修正というか、挫折なのか、もしかしたら。

そのわりには夜遊びしまくっていたと。でも2年も遊ぶと飽きた。公務員でいるうちに、と実家を出てアパートを借りたのが二十歳になるちょっと前。

家を出たのも転機じゃないなあ。物心ついた頃から家は出たかったし。大人になったら家を出るのが当たり前だと思ってた。親は何だかんだ言ってしょっちゅうアパートに来てたけど、あんまりしつこくしてもっと遠くに行ってしまっても困ると思ったみたいなのと、飽きたんだねきっと。来なくなった。

それから3年はしょうがないから働いたけど、異動になって仕事がさらにつまらなくなって、しかも職場も遠くなって辞めました。

それからはバイトしながら小説書いてた。ワープロだった。サンヨーの。小さいテレビみたいなやつで、十万円くらいしたっけ。NECのPCも持ってたけど、印刷するの大変だったのよ。

そうこうするうち昭和も終わってしまって。ほしたら平成元年に賞金一千万円の時代小説のコンクールがあって、最終選考に残った。そこで落ちたけど、出版社の人が時々会いに来るようになった。面白い人だったのでよく話した。

でも、これも転機じゃないな。結局デビューしてないし。今は小説にはあんまり興味ないし。

ほんで高校卒業10周年を記念して大学生になりました。通信制なので無試験です。久々に健康診断した。

でも、大学も転機じゃないな。楽しかったけどさ。大卒になったし。

関西ではその頃大きな地震があって、わたしは傷ひとつなくてアパートも少し壁にひびが入ったくらい。みんな大変なのに自分は何ともなかったっていう罪悪感はしばらくあったし、今でも思い出すと苦しいけど、それでもそれも転機じゃない。

それを転機っていうのはおこがましいです。

で。卒業してから10年近くまともに働いてないの。ほとんどバイトもしてなかったな。1週間くらい家から出なかったこともある。その間のことは履歴にも書けません。何してたんだろうの三十代です。

とか言っているうちに働かないと食べていけない状況になっているというのに気がついた。おせーよ。なので近所の工場でラインの仕事を始めました。最初はグズグス言っていたのにすぐに慣れて上手になりました。なのでこれも転機じゃないのよね。

ラインの仕事も楽しかったけど、なんかずっと立ってるのもなーって思ってたらマンションのポストにチラシが入ってて、ついに事務系のハケン生活が始まるわけだけど。

これも、転機とは言えないのよ。

転機っていうのはさ。自分で何かを変えようって思って行動した時、それが上手くいってもいかなくても、いい経験として生かせるなあ、っていうやつのことでしょ。

わたし、自分からは何もしてないのよ。何の努力もしていない。

公務員試験の勉強は全くしてないし、長編小説だって全然苦労しなかった。大学も楽しかったし、ラインのバイトだって面白かったのよ。そりゃまあ多少工夫したりはしたけど、石にかじりついてとか歯を食いしばってとか、全然してない。

実家を出てアポートで暮らし始めた頃のこと、文化住宅の前を通ると今でも思い出すよ。楽しかった。友達が遊びに来ては夜中まで飲んだ。アンテナを自分で立てたり、網戸作ったり、冷蔵庫買いに行ったり、細々した日常のことが本当に楽しかった。今でも楽しいけど、二十代の頃とは違うなあ。

決して綺麗だとは言えないアパートも、若いから楽しめた。お風呂のドアが外れても笑えた。冷蔵庫は小さくてアイスクリームが溶けたけど、スーパーの帰り道に食べちゃえばよかった。

いつかはきっとマンションを買うんだろう。そんなに広くないけど使い勝手のいい部屋。緑の多い静かな街で暮らすんだろう。

だから若いうちは、駅に近くて便利でちょっとごちゃごちゃした街、古いけど日当たりの良いアパート暮らしも悪くない。

って、何の根拠もないし後ろ盾もないのに思ってたよ。

そして今はその通り、公園だらけの街の、日当たり抜群のマンションに住んで真新しい高層ビルにある外資系薬品会社で派遣してる。

強く望んだり憧れたりすることはないし、きっとこれからもないだろうなあ。楽しいんだけど、楽したいとは思ってない。だからといって苦労もしたくないし、というより、しない。

うん、そうだなあ、わたしは「したい」と思わないんだ。したいと思う前にもうしてる。動いている。考えないんだ。迷わないしな。

ちょっと馬鹿だな。そうかも知れない。もうちょっと慎重に計画的に動けば、今頃もっとすごい豪邸とかに住んでばりばり仕事してるかも・・・ないな。

そうそう、慎重といえばさ。大学に行く時の健康診断から10年ぶりに派遣の健康診断で身長測ったら2センチ伸びていたよ。BMI値稼げたよ、って。

ごめんね、オチなしで。