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色々あれこれ。

今年初掃除。昔プリントアウトした書類を読み直したり。

今週のお題「2019年の抱負」

年末のテキトー大掃除後、今年最初の掃除。本棚を片付けて古い本やら整理して、ちゃんとまとめたはずなのに、まだまだ色々出てくるですね。まあ引っ越し以来突っ込んだままだったからしょうがないやね。
ということで、今年の抱負は新聞以外の活字も読もう、です。なので年末に図書館から本を借りて来ました。
魅惑のベルギー美術、姫路市立図書館編、冨田章氏監修です。
ベルギーの絵画といえば、ルーベンス。アニメのフランダースの犬に出てくるから。少年ネロが最後に見るのがルーベンスの絵で、天使が抜け出てきてネロを天国に連れて行く。
フランダースの犬を書いたのはイギリスの作家で、昔はベルギーではほとんど知られていなかったらしい。だけどアントワープノートルダム大聖堂を訪れる日本人があまりにもフランダースの犬に出てくるあの絵はどこだと尋ねるものだから、今ではお土産としてアニメの絵葉書が売られているのだそう。
他にベルギーといえばビール。いわゆる地ビール。私はビールはベルギーのが一番好きだ。こってりしていて香りがいい。あんまり苦くない。甘酒みたい。ワッフルも好きだ。もちろんチョコレートも。
けど、ベルギーの絵画はあんまり意識してこなかった。私が一番好きなのはスペインの絵画。色合いが好き。情熱的で奔放で、自由闊達で。
なので、序章を読んで改めてびっくりした。ベルギーは若い国である。ええ、なんで。
今のベルギーとオランダに渡るネーデルランド地方は、14世紀まではブルゴーニュ公国の一部だった。やがてスペイン・ハプスブルグ家に組み入れられ、17世紀には北部が独立してオランダになる。南部はその後スペイン、フランス、オーストリア・ハプスブルグ、オランダに支配され、1830年にオランダから独立する。
日本は江戸時代。しかも終わりの方。知らんかった。つかハプスブルグ強すぎ。
そして、スペイン人だと思い込んでいたクノップフはベルギー人だった。「スフィンクスの愛撫」が好き。子供の頃展覧会で見た。その展覧会の題名は「スペイン新印象派」だったはずなんだけど。
レオン・スピリアールトのめまい。これってU2のビデオに出でくるぞ。ルネ・マグリット。鳥の形に抜けた青空ね。この本には違う絵が載ってる。夜と昼が合わさった絵。
画集を見るのは楽しい。いろんな角度でいろんな絵を見る幸せ。それに、美術系の本は解説がシンプルでかっこいい。
ネットで見るのもいいけど、本で知った作家を検索したり、ネットで見た絵画の本を探したりするのも楽しいね。

霧に滲むOsakaのビル街はそんなに悪くなく。

連日の霧で電車は遅れて、仕方なく普通に乗ってご出勤。先頭車両から流れる線路を眺めていたらちょっと酔った。

ほんと、大阪は綺麗になったよ。東京駅と変わらないくらい構内も明るくなったし。近くのピルに行くのも便利になったしね。

それでもやっぱり私は神戸に戻りたい。うまく説明できないけどね。

たぶん、最初に働いたのが神戸の三宮だったからだろうね。当時はまだ国鉄だった三ノ宮駅の西口。横断歩道を渡ったところにあるゲームセンターから、毎朝ホール&オーツのプライベートアイズが流れてた。

君をずっと見つめてる。まるて私立探偵みたいに。

CDが発売されるちょっと前、ディスコが下火になってカラオケが発明された頃の神戸。

始まったばかりの80年代はまだ女子学生には優しくなくて、それでもみんなそれなりに就職はできていた。結婚したら女は仕事を辞めるのが当たり前で、職場ではお茶汲みと煙草の吸い殻を片付けるのは女の子の仕事だった。内資の会社では今でもそうなのかな。

別にその頃が懐かしいわけじゃない。でもやっぱり。神戸がいい。

今の会社で働き始めてすぐ、鳥取地震があった。高層ビルなのでグラグラ揺れた。台風も来た。大阪の地震の時は家の近くにいたけど、かなりの揺れだった。

それで思った。

大阪で死ぬのは嫌だ。

神戸なら、仕方ないと思う。神戸に住んでいるのだから。神戸を選んでいるのだから。

でも、

大阪は選んでるわけじゃない。

いや、選んで働いてるんだけどさ。今の仕事の前に働いていたところは神戸で、そこが最低だったから大阪になったんだけどさ。

こんなことばかり考えてると、よくないことが起こったりするんだろうけどさ。

でもさ。やっぱり、神戸がいい。時給安いけど。

 

楽譜も本ですよね、という括りでいきますよ。

今週のお題「読書の秋」

週末バイオリンは先週はお休みでした。

友人に「週末にバイオリン弾き始めてさあ」と言ったら「え、終末?」とか言われた。まあ、自分でも超音波とか言ってるんだけど。

新しいバイオリン教本、楽しいです。なんせ自分の好きな曲だけいくらでも弾けるしさ。暗譜とかしなくていいしさ。

教本1でお気に入りなのは「白ばらの匂う夕べは」です。No54。15小節しかありません。Freut euch des Lebens.作曲者はネーゲリ。スイスの方だそうです。

イ長調。ラがドになります。バイオリンだとA線から始まるので弾きやすい。しかもA線もE線も開放弦でいいからね。

最初の音はA線で中指。中指は強いのでビブラートかけやすい。4分の3拍子なのでゆったり弾けます。次はスラーだけどA線だから弾きやすい。バイオリンの練習のために作られたような曲ですな。簡単だけど華やかで、弾いてて楽しいです。

意外に難しかったフォスターの「主人は冷たい土の中に」。No71。原題はMassa's in the cold, cold ground.「あるじ」じゃなくて教え人の「しゅ」ですね。

これもイ長調だけど小指でA線を押さえねばならん。スラーで4音続けて弾くのって、弓の運びを考えて弾かないと足りなくなっちゃうからね。でも、有名な曲なので弾けると嬉しいです。

次に新世界より「ラルゴ」。ドボルザークです。No72。ラルゴっていうのは「めっちゃゆっくり」っていう意味。ゆったり弾きましょう。最初はA線で主旋律、次に一番低いG線で1オクターブ低い旋律。

私はセカンドバイオリンだったからか、低い弦が好き。柔らかいし。低い音が喉に響くのが気持ちいいです。

大人バイオリン楽しいです。一人で好きな時に好きなだけ好きな曲を弾いていればいいからね。

そういうことに気づくのに、だいぶ時間かかっちゃったね。

運動会の思い出は放送部へと転生したのだった。

今週のお題「運動会」

ネット接続が設定ごとなくなる現象が起こるのでプロバイターとチャットしたら電話してって言うので電話したら繋がらなくてブロクでも更新するか、の日曜日。


運動会ね。はい。スポーツは苦手だったのでいつも応援でした。

体は弱かったけど気は強いので、負けると分かっててもちゃんと走りましたよ。しんどかったけど。いつもビリだった。
痩せて体が軽かったので鉄棒や跳び箱はできたし、マット運動もまあまあだった。逆上がりも友達に特訓してもらった。水泳は父親が水泳選手だったのでしゅっちゅうプールやら海やらに連れて行ってもらってたのでまあまあ泳げました。球技は苦手でした。特に投げるのが苦手。
そしてとにかく走るのが遅かった。特に短距離。いじめっ子(私がいじめられたのではなく他の子をいじめた場合ね)に逃げられたら絶対に追いつかないので、まず言葉で叩きのめそうとしていましたっけ。
そんなこんなで運動会ではヒーローになれなくて、でもって中学の時は運動会で全員でダンスしなきゃいけなくて。それも裸足で。中学の時は部活動でバイオリン弾いてて、それなのに髪まで砂埃だらけになるので本当にうんざりでした。どうして裸足でしなきゃならないのか、先生に詰め寄ったら、裸足の方が綺麗に見えるからだって言われました。
で、そんなある日。私は押しピンを踏み抜きました。上履きに入っていたのだったか、教室でうっかり裸足になったからか、どっちか忘れましたがとにかく踏み抜いたので、本番のダンスには出られなくなりました。
あいつ、わざと押しピン踏んだんじゃないか。って、心の中で呟いた奴、いたと思う。私もそう思った。ダンスしなくていい、ラッキー。
でも、わざとじゃなかった。ダンスもスポーツも大嫌いだけど、私はそういう人間じゃない。というか、そういうタイプの知恵はない。
で、運動会当日。ダンスに出ない代わりに駐車場の整理をやらされました。足はまだちょっと痛くて、車の排気ガスも苦手だったけど、しょうがないので渋々駐車場に行きました。
そしたら、一学年下の男子を紹介されました。一緒に車の誘導をしなさい、って言われました。小柄な彼はとても礼儀正しくて、ちゃんと挨拶してくれました。私は挨拶したっけか。・・覚えてない。
車の誘導ってどうしたらいいんだろう。立ち尽くしていたら、彼がさっと駆け出して、両手を広げて「こちらへどうぞ」って大きく朗かな声を出しました。
かっこいい。ああするんだ。
私は彼の斜め後ろで、恐る恐る手を広げていました。ちゃんと声を出せたか、挨拶できたか、全く覚えていません。
それで、高校になったら放送部に入ろう、って決めました。部活動でオーケストラをしている高校はなかったし、どのみち楽器はもういいかなーと思っていたので、音響機器を触れる放送部に入ろう、って決めました。
そしたら、私は人の役に立てる。
走るのは遅いし、ちゃんと挨拶したり誘導したりなんてできないけど、機械は得意。人前で話すのも得意。挨拶できないくせに弁論はできる。原稿も書ける。
中学に入学した時、あまりに足が遅いのでちょっとは早くなりたいと思って、一瞬、陸上部に入ろうとしてました。でも同学年に足が速くて勉強できて性格良くてっていうのが3人もいたので、諦めた。陸上部は本当に仲が良くて、ドロドロとした器楽部とは大違いだった。
でもなんでも途中で放り出すのは嫌いなので、器楽部には三年在籍しました。そこにも努力家がいて、練習嫌いの私は結局あまり目立たなかったのですが。
卒業式の日。三年生は運動場で最後の演奏を披露することになっていて、バイオリンのケースさえ重かった私は三年分のうんざりと一緒に運動場に向かってました。
そしたら、クラスメートに声をかけられた。
あれっ、あんた陸上部じゃなかったの。いつもクラスで陸上部の子と喋ってるから。
はい。三年間バイオリン弾いてました。放課後に運動場にいることなんてなかったですよ。いつも音楽室にいたですよ。
でも、ちょっと嬉しかった。
痩せているけど太腿だけしっかりしていて、中学に入学した時に「あんたはきっと足が速いから陸上部に入りなさい」って体育の先生に言われたけど、周りの友達が「こいつは見掛け倒しで足だけは遅い」ってフォローしてくれたことがある。いや、フォローじゃねえな。
そんな私のことを陸上部だって思っててくれた友達がいたのが嬉しかった。仲のいい陸上部の一員だと思われたのが、嬉しかった。
高校では放送部。やっぱり引き続き運動は苦手で、でも放送部なので機材の設定という仕事があった。スピーカー運んだりするの楽しかったな。
大人になってあの頃から体重が20キロ近く増えて、運動会に出なくてよくなって、心底ほっとしている。得意なことを好きなだけしていられる、大人になった。
そして時々、駐車場を駆け回っていた小柄な彼のことを思い出す。彼は楽しそうだった。
私はそういうことは得意じゃないけど、得意なことは他にあって、それを見つけることはできるんだってこと、彼に教わった気がする。

週末バイオリン継続中。

チューナーも買った事だし音合わせ楽勝で、週末バイオリンは続いているよ。新しいバイオリン教本の1と2を行ったり来たりしつつ少しずつ指の感覚を取り戻しているところ。

メリーさんの羊が基礎曲になってる。イギリス民謡なのね。英語だとMary had a litte lamb.過去形なんだ。

まずはシャープふたつのニ長調、D線から始めます。

D線上のメリーさん。D線は二番めに低い音で、弦が柔らかくて押さえやすいし弾きやすい。まず1の指、左手の人差し指を正確にとってから2の指、中指を押さえます。

楽譜には「もちろん楽譜に示すとおり1の指は押さえたままであること」ってあるんですが、私は指を一本ずつ押さえる癖があるのだ。しかも薬指の上に中指を重ねる癖まであるんだぞ。すごいだろ。なので全体的に音が高くなる。いかんいかん、基礎から正確に。

D線上のメリーさんをちゃんと弾けるようになったら次はA線上のメリーさん。音は高くなります。いくぶんテンポは早めに。

次はメリーさんの羊重音練習。うへえ難しい。弦を二本いっぺんに弾くということは指が弦をちゃんと押さえてないとダメってことなのよ。一本だけ弾くのなら弾かない弦に触れてても支障はないけど、重音になるとばればれ。

最後にメリーさんの羊変奏曲。D線とA線を交互に弾く。A線は開放弦でいいけど、これも難しい。ボーイングが正確でないと弾いちゃいけない弦に引っかかる。

いやあ、基礎って大事。だいぶ指の感覚が戻ってきましたよ。来週もちゃんと練習しよう。

おめでとう100刷。新しいバイオリン教本1。

暑さがちょっと落ち着いたので週末バイオリン再開。何年振りかで楽譜買いました。

音楽之友社の新しいバイオリン教本1。第1刷はなんと1964年6月20日。私と同い年ですわ。そして今回買ったのは2018年4月30日、記念すべき第100刷版です。ぱちぱちぱち。

音楽之友社って東京新宿神楽坂にあるのですね。かっこいいやなんか。東京の地名ってかっこいいよなーやっぱなー。

序文も昭和39年になってます。中の写真や解説もしっかりしているので、初版のまんまなんでしょうね。バイオリン持ってるセーラー服の女の子、可愛いです。ショートカットかっこいい。小磯良平の女子学生みたいです。

バイオリン各部の名称。直訳でなくちゃんと日本語になってます。先っぽのぐるぐるってなってるところ、うずまきっていうのです。古い小学校の手摺みたいなの。

でも、ボーイングは英語なのな。弓の上げ下ろしのことです。確かに日本語にするのは難しいなあ。

バイオリンで一番難しいのはボーイングです。ピアノだと鍵盤をポンとすればとりあえず音がするけど、バイオリンはまず構えて、弦を左の指で押さえて、右手で弓を持って、駒とまっすぐになるようにボーイングしなくちゃならない。

でもね。できると楽しいのよ。

幼稚園くらいからピアノを習ってました。そんなに下手じゃなかったと思う。中学の部活動でバイオリン、高校からは独学でギター、すぐ弾けるようになったけどアルペジオ止まり。

バイオリンは、自分が弾いてる弦、自分が押さえている指の先を見ることができる。見ながら弾いてもいいの。楽器の向こうに楽譜があるから。

ピアノは手元ばっかり見ていたらかっこ悪いし、ギターも猫背になっちゃってブサイクだし弾きにくい。指先で鍵盤の位置や弦の感覚を覚えないとうまく弾けない。

バイオリンは自分の左手を見ていてもいい。もちろん指の感覚も大事だけど、手の形をチェックしながら弾いてもいい。

ボーイングが上手にできるようになったら、いろんな曲を弾けるようになります。

そうそう、バイオリンはチューニングも結構大変。

しかーし。今はいいチューナーがあります。楽譜と一緒に買ったのはYAMAHAのTD-19BK。黒くて小さくて、ああ、可愛い~~。

中学の部活動でもチューナーは使ってましたが、みんなと一緒に使わなきゃいけないので取り合いでしたというか順番待ちでした。弁当箱くらいあって、重くて、電源コードが長々とついていて、ダイアルをばちばちって合わせて、マイクの前で基本音を出してました。

それに比べてTD-19BK、譜面台にちょんと乗せることができます。基本音を出すこともできる。ダイヤル回して音を合わせなくていい。というかダイヤルついてません。小さい白いボタンがついていて、簡単操作。

いい時代になったなあ。ってことで、また練習します。

これはテレビゲームの話なのね

今週のお題「ゲームの思い出」

1983年にファミコンですか。そうですかー。最初に買ったテレビゲームはアタリです。見た目はかっこよかったけど、すぐに壊れたのでファミコン買いました。テレビのアンテナに繋いでしてました。目が疲れるので長いことできませんでした。

次はパソコン。NECの88シリーズでゲームです。ほとんどキーボードを使わなかったという。フロッピーディスクのでっかいやつを買ってきてぐいっと差し込むのですよ。カセットテープにバックアップできる程度のデータ量でしたね。

友人が働いていたゲーム会社に出入りしていたので、社員旅行に格安で連れてってもらったりしました。ハワイでした。海外旅行はそれきりしてません。バブルな時代だったのね。

ファミコンの次はスーパーファミコンディスクシステムも買いました。ミニゲームが500円で買えました。あれは楽しかったなあ。ウルトラマンが出てくるやつとかさ。

次はプレイステーション。CDにゲームが入ってるの。ゲームフェスとかあったなあ。デモ版をもらって嬉しかった。ソニーのゲームが一番好きだ。DSはあるけどあんまりしたことない。ゲーム機が小さくなって画面が小さくなるとしなくなりました。

そんなこんなで昭和も終わり、ネット社会がやってきます。Macに出会ったのが1997年。さめがめ好きでした。でもねそれくらいからゲームしなくなりました。

どうも私は小さな画面が好きでないらしくて。携帯はいまだにPHSNicoだもの。メール打つの嫌いですもの。

ゲームそのものは下手ではないです。シューティングとかうまい方だと思います。パズルとかも早いし、落ちゲーは得意です。

年取ったからかなあ。視力は落ちてます。

でもそれだけじゃない。

仕事が、ゲームみたいになったんですよ。

大量のデータを落としてきて色々いじる。ツール作ったりマクロかましたり。グラフにすることもあるしテキストに戻してデータベースに入れることもある。

今はしてないけど、在庫管理で時間が決まってることもあったしね。毎日締め切りなのよ。今思えばあんなに急いで入力する必要は全くなかったんだけど、金曜なんか三日分入れるのでハイになったりしました。

今回の仕事のデータは時系列にも絡むので、ほんとゲーム感覚。どんなキーで絞るかで出てくる結果が変わってくる。

人生はゲームじゃないけど、仕事は結構ゲーム。