Unknown@Presence

色々あれこれ。

選択という選択。

30歳の冬。12月30日。前の日から飲み続けて3時過ぎに友人のマンションに転がり込み、マドンナのビデオを見ながら化粧も落とさずに爆睡した。

毎年どんどんひどくなる。そんな友人のため息混じりのセリフをぼんやり聴きながら年は開けて、さすがに酔いも覚めた正月。通信制大学の試験を終えて、ワインバーで記念の赤ワイン。シメのコーヒーが来るのがなんだか妙に遅くて、コーヒー豆ブラジルまで買いに行ったのかね、などと笑っていたのが1月16日日曜日の夜。

だからといって人生観が変わったわけではない。親しい人を失わずにすんだからかも知れない。私は傷一つ負わず、古い木造のアパートも壁にヒビが入っただけだった。

二十年以上が経ち、あの時埃と瓦礫にまみれていた街に、マンションを買って住んでいる。夏には蝉がうるさいほど泣き、秋は落ち葉で歩道が埋まり、冬は海の上に雪が降り、春は桜で薄紅に染まる。

人生とはつまり選択の連続で、私は成人する前に実家を出るという選択をした。それは物心つく前からの目標で、自分で髪を洗えたり自分でリンゴの皮を剥けるようになるのと同じ次元の目標だった。

そこからはもう毎日毎日選択しているようなもので、今日の夕飯は豚モモ肉の炒め物にするか鶏肉のソテーにするかそれとも近所のお肉屋のレバーのマリネにするかというのが面白くて仕方なかった。今でもそうだ。料理はすればするほど腕が確実に上がるし目利きになれるので本当に楽しい。掃除も能率的にこなせば楽しいし、気持ちがいい。もちろん洗濯も好きだ。ベランダで洗濯物がどんどん乾いて行くのを見るとちょっと興奮する。

なぜそれがそんなに楽しいのか。

それは、自分のためだからだ。

自分の食べる、着る、寝るを快適にするための選択だからだ。自分が快適に生きて行くための選択だから、楽しいのだ。

大学入試に失敗してやむなく地方公務員になって、最初はグダグダ言っていたけど街で飲み歩くのが楽しくなり、けど仕事はつまらないので5年で辞め、実家は出ていたので自炊を楽しみ、ぼちぼち高卒も飽きたので大学に行き、ぶらぶらしていたら近所の工場で面白い仕事があり、そろそろ飽きてきたらまた近所の外資系の会社で募集があって事務の派遣になり、いろんな会社に行きながらなんのかんので働いている。

それもこれも、自分のために選択したからだ。自分が楽しいか、面白いか、その度に決めてきたからだ。

誰かのために生きる、というのが好きではない。亡くなった人の分も生きなさいというのも。高校に入ってすぐ、中学の同級生が踏切の事故で亡くなった。大嫌いだった国語の教師が葬儀の席で言ったものだ。「あの子の分まで生きなさい」

誰かの代わりに生きることはできない。それが人生だ。その人の人生はその人にしか生きることができない。だからこそかけがえがないと言えるのだし、大事にしろとも言えるのだ。

だから私は、他の人の分まで生きようとは決して思わない。たとえ誰かにそれを望まれたとしても、私は私のために生きる。私にとって、それこそが人生だからだ。

だから、誰かに期待されているからとかみんながそうしているからという理由でいろんな選択を人任せにする人がいても、それはそれでその人の人生なんだと思う。もしかしたらそれが一番その人にとって良い選択だったかもしれないし、逆かもしれない。そんなことは誰にも分からない。

選択するのが苦手なら、決断するのが苦手なら、とりあえずできそうな選択からしてみるのもいいかも知れない。それでうまく行ったら儲けものだ。それも無理ならとりあえず一切の選択をせず、ひたすら忠実に目の前の勉強や仕事に集中するのもいいかも知れない。もしかしたら、美味しい選択肢が降ってくる、かも知れないし。