もう50回以上夏は経験しているので、思い出話はそこそこできるけれど、それが十代の終わりだったかそれとも二十代の最後のあたりだったかそれとも四十代の始めかっていうと確かでなくて。
若い頃はよく泳ぎに行っていた。ほとんどプール。そういや淡路島に泳ぎに行ったら台風が来たな。家族旅行の定番は日本海で海水浴。母の実家がある三重県では川で泳いだね。キャンブもした。ハワイでも泳いだよ。海外旅行はそれっきり。
でも、生まれて初めて泳いだのは瀬戸内海。播磨灘。今はなき高砂の浜。
私は二歳、だったはず。いやまだ一歳半かな。黄色い水着にピンクの帽子、父に手を引かれている。
たぶん私の一番古い記憶。父がマテ貝の取り方を教えてくれた。穴を見つけたら塩をひとつまみ入れるんや、そしたらマテ貝がぴっくりして出てくるから、引っ張り出してチュルッ、って食べるんや。
にこにこ笑いながらそう教えてくれた父の顔はよく覚えているが、赤ん坊の私は彼を父親だと認識できていなかった。「なんだこのおっさんは。何をにこにこしてるんだ」と訝しく思ったことを、はっきりと記憶している。
夕焼けが綺麗だった。白い砂浜はどこまでも続くように思えた。これが海だ。誰かが言った。海は広いな大きいな。誰が歌っていたのか。それは覚えていないが、果てしないもの、美しいもの、眩しいもの、それが海だというのは理解していた。
そして、美しいものは永遠でないことを、しばらくして知る。浜は鉄鋼所の下に沈み、古い唄に謳われた白砂の浜は永遠に消えた。父は工場を眺めながら言ったものだ。人間の力はすごいなあ。
海水浴を楽しむ人が減っているという。泳ぐことそのものを楽しむというより浜で騒ぐことを面白がる人が増えているからとも、猛暑のため浜辺に出られないからだともいう。
美しいものが永遠でないように、夏も永遠でない。もしかしたら、夏そのものもなくなってしまうのかも。いやもう、なくなりつつあるのかも。