Unknown@Presence

色々あれこれ。

その16 幼な蜂の安寧

 しょうこうぐち。そうそう。学校の下駄箱んとこ。昇降口っていうんだよね。
 一面ガラスブロックだったよな。そうだ。みんなが靴の底立て掛けて喋ったりするから、一番下はいつも泥だらけだったんだよ。そうだ。
 俺は高卒ってことになってる。でも、自分では中退って思ってる。高三の1月から登校拒否になったからだ。
 高三の1月以降っていうのは普通は自主登校になる。人によっては2月から研修に行ったり、予備校の合宿で県外に出てしまったりする。俺は1月は半日補習授業に出てあとは自主学習、って予定だったのに、家から一歩も出られなくなった。
 焦ったよ実際。もちろん家族は心配するし、先生もクラスの友達も、サッカー部の先輩まで来たもん。最初のうちは、いやあなんかもう風邪こじらせちゃって、すみません、とか言ってたけど、もちろん、そうじゃなかった。
 勉強が手につかないわけじゃなかった。ただ家から出られないだけ。とにかく出られない。近所のコンビニくらいなら行けたっていいのに、出られない。
 自分でもいい加減嫌になって「俺は外に出るんじゃなくてちょっと風に当るだけだよーん」って声に出しながら玄関を開けて、そしたら足がすくむ。
 足がすくむ、なんて、テレビとか漫画とかでしか聞いたことなかった。敵に負われて高い崖の上に追い詰められて、そこしか逃げるところがないけど足がすくむ、みたいな。
 足がすくむ以外に言い方ないのかって思ってたけど、本当にそうだ。膝がまっすぐになって固まる。足の裏が地面に貼付いたみたいになる。すぐに全身が固まる。
 あんまりなので、父ちゃんに抱きかかえて無理矢理外に出してくれって頼んだ。高三にもなった父ちゃんに抱かれるなんて普段ならあり得ないけど、んなこと言ってる場合ではなかった。
 で、自分から頼んでおいて、俺は父ちゃんの腕から飛び上がって逃げ出して、そのまま家に戻ってしまった。
 怖い、っていうのとは違うんだ。俺は鳥がちょっと怖くて、アップになったりしてるときゃーとかなるんだけど、それとは違う。心臓もどきどきしないし、気分も悪くならない。
 ただ、なんか透明な感じ。感情が透明になるみたいな。
 もう学校に通う必要はあんまりなかったけど、問題は受験だった。そりゃアホな私大の経済学部だったけど、受けたかった。なのに2月になっても外に出られなくて、受験できなかった。
 うちの家族は結構楽天的だけど、さすがにへこんだね。
 受験がどうこうっていうより、このまま外に出られなかったらどうするか、ってこと。
 もちろん医者には診てもらったさ。行きつけの内科の先生の紹介で、精神科の先生が家まで来てくれた。精神科っていうからどんな変な先生かと思ったら、体育の先生みたいな人で、どうでもいい質問をたくさんした。
 友達は何人とか、部活は、とか、勉強は、とか彼女は、とか。たぶんセックスのこととか聞きたいんだろうなあと思ったので、彼女は今はいないけど高一の時はいて、だけど何にもないです、っていった。
 週に何回マスるかって、自分から言った方がいいのかと思ったけど、やめた。「何にもないです」って言っただけですごく変な顔したから。俺としても言いやすいことではないし。
 でもさ。そういうのって大事じゃないか。やりたいかやりたくないかって。女子はどうか知らないけど、男子は結構そんなことばっか考えてるぞ。
 あ、俺はまず最初は好きな女子とって思ってるよ。彼女が嫌だったら待つよ。そんくらいの余裕はあるさ。だって男は自分からきっかけ作らなきゃいけないんだからさ。女子みたいに待ってりゃいいじゃないんだ。失敗か成功かは男の見極めにかかってるんだ。
 あれ、何の話だっけ。そうそう。結局体育、じゃなくて精神科の先生は受験のプレッシャーですねと言ったらしい。まあさ、古典は欠点で、追試でも40点しか取れなかったさ。でも国語はまあまあだったし、数学だけだったらずっとクラスで一番だったもん。
 なので、今年の受験は見送りってことで、2月は終わった。
 3月は二次募集があるから、勉強はずっとしてた。むしろ勉強は集中してできてた。ネットの予備校の模試で、あんまり得意じゃない英語が80点取れた。でもやっぱり、家からは出られなかった。
 卒業式も出られなかった。卒業式の日、クリーニングに出してた制服を家の中で着て、担任やクラス委員や、その他何人かと一緒に写真を撮ってもらった。
 なんか、端午の節句みたいだね。姉ちゃんが言って、泣いた。クラスの友達も泣いてた。サッカー部の先輩も泣いてた。もちろんのことだけども俺も泣いてしまった。受験できなかったことより卒業式に出られなかったことより何より、みんなに心配かけて申し訳なかった。
 俺がずっと家にいるのがなんとなく当たり前になってきて、4月が来た。
 いい天気だな、今日はスリッパでも外に出られる、と思って、外に出た。
 あ。
 外に出た。やばい。出てる。玄関から出てる。
 家に背を向けたまま、俺は叫んだ。母ちゃん母ちゃん、姉ちゃんでもいいや、誰か俺の財布取ってきて。
 母ちゃんはああと言って、俺の部屋に駆け上がり財布をとってきて、俺に投げてくれた。姉ちゃんもわあと言って、ジャージを投げてくれた。
 俺が生まれた時もこんな感じだったのかなあと思いながら、駅まで走った。定期は切れていて、だから切符を買った。高校に行くのに切符買ったことなかったな。料金表を見上げる。久しぶりの外の光は眩しくて、焦点をあわせるのに時間がかかった。
 改札からまた走った。高校は駅から1分という好立地で、っていうより他に何もないんだけど、東口の階段を駆け上がった。そこからもう昇降口の臭いがする。これはみんなの鞄や靴の臭いなんだ。
 緑色の校門の前で、俺は分かった。
 俺は、卒業したくなかったんだ。
 ずっと高校生でいたかったんだ。
 勉強あんまりできなかったし、学校は古くてあんまりきれいじゃないし、隣街の女子高の美人にふられたりもしたけど、でも、ずっとここにいたかったんだ。
 ああもう。なんてもう。格好悪い。
 入学式の日でなくてよかった。こんな突っ立って泣いてるの見られたら、もっと格好悪いもん。
 でもな。一年浪人して受験したのに結局落ちちゃった、って、こっちも相当格好悪いかも。