Unknown@Presence

色々あれこれ。

柊にイワシの頭を刺すのは定番なのかしら。

今週のお題「わたしの節分」

売れ残った恵方巻きが大量に廃棄されている件について農水省が注意を促すと。

お上もたまにはいいことしますね。勿体無いもんね食べ物なんだから。あんなことばっかりしてると本当にバチが当たる。

これってば関西の風習なんじゃね?っていうイメージがあるらしい。商魂たくましい関西人の企みだと。

畦道は六十年近く生きているけれど、昭和の頃には関西でもこんな風習はなかった。平成の初めの頃にもなかったな。二十一世紀になってからじゃないかな。なま物の冷凍保存の技術が上がって、工場のラインでも作れるようになったからじゃないのかな。

あれは花街の行事がルーツじゃないかな。だから関西発祥のイメージがあるのでは。京都の祇園やなんかで、巻き寿司を女性が丸かぶりするっていう、あんま品のない行事があったのを、まるで昔からあったみたいにお寿司のチェーンが煽った、っていうのが最初かも。違うかも。知らんけど。

まあ、だからって作り過ぎて廃棄っていうのは良くないです。いい加減そういうのはみっともない。大量生産大量廃棄、恥ずかしいですよ。

で、畦道が節分の行事として思い出すのは豆まき。勿体無いので座敷に撒いたりしてました。外にもちょっと撒きました。食べ物なので楽しくなかったし、座敷に撒いたのを拾うのも嫌だったなあ。年の数だけ食べろとかさ。

玄関先に柊を挿して、生の鰯の頭をつけておく、っていうのは母がしてました。

鬼は生臭いものが好きだから寄ってきて、柊の棘に刺されて慌てて逃げていくのだよ、と教えられました。

そんな罠にかけるようなことするなんて、なんか鬼が可哀相やなあ。と子供の畦道。

次の年から鰯柊はなくなりました。

豆まきはあんまりしなくなって、でも恵方巻きはやってみようよってことになったのは、お豆を撒くのは勿体無いし拾って食べるのは嫌だけど、恵方巻きならみんなで食べられるから、ってことなんでしょう。

でもその恵方巻きも大量に廃棄されることになってしまい。

なんかね。行事の時に何かしらのご馳走を食べる、っというのがもう、古くなってしまっているのだと思う。ご馳走っていうのは走り回って材料を集めて振舞うこと。今は走り回らなくてもいい。上質で美味しくてしかも安全なものをいつでも食べられる。

もうちょっと、食べることを大事にしましょうよ。毎日お祭りみたいな食生活なんだからさ。

季節の変わり目には、贅沢なもの珍しいものを食べるんじゃなくて、質素なもの、例えば麦の入ったご飯とか、大根飯とか、ええと、思いつかないけど種無しパンとか、そういうもので慎ましく祝う方が、かっこよくないですか。