Unknown@Presence

色々あれこれ。

楽譜も本ですよね、という括りでいきますよ。

今週のお題「読書の秋」

週末バイオリンは先週はお休みでした。

友人に「週末にバイオリン弾き始めてさあ」と言ったら「え、終末?」とか言われた。まあ、自分でも超音波とか言ってるんだけど。

新しいバイオリン教本、楽しいです。なんせ自分の好きな曲だけいくらでも弾けるしさ。暗譜とかしなくていいしさ。

教本1でお気に入りなのは「白ばらの匂う夕べは」です。No54。15小節しかありません。Freut euch des Lebens.作曲者はネーゲリ。スイスの方だそうです。

イ長調。ラがドになります。バイオリンだとA線から始まるので弾きやすい。しかもA線もE線も開放弦でいいからね。

最初の音はA線で中指。中指は強いのでビブラートかけやすい。4分の3拍子なのでゆったり弾けます。次はスラーだけどA線だから弾きやすい。バイオリンの練習のために作られたような曲ですな。簡単だけど華やかで、弾いてて楽しいです。

意外に難しかったフォスターの「主人は冷たい土の中に」。No71。原題はMassa's in the cold, cold ground.「あるじ」じゃなくて教え人の「しゅ」ですね。

これもイ長調だけど小指でA線を押さえねばならん。スラーで4音続けて弾くのって、弓の運びを考えて弾かないと足りなくなっちゃうからね。でも、有名な曲なので弾けると嬉しいです。

次に新世界より「ラルゴ」。ドボルザークです。No72。ラルゴっていうのは「めっちゃゆっくり」っていう意味。ゆったり弾きましょう。最初はA線で主旋律、次に一番低いG線で1オクターブ低い旋律。

私はセカンドバイオリンだったからか、低い弦が好き。柔らかいし。低い音が喉に響くのが気持ちいいです。

大人バイオリン楽しいです。一人で好きな時に好きなだけ好きな曲を弾いていればいいからね。

そういうことに気づくのに、だいぶ時間かかっちゃったね。

運動会の思い出は放送部へと転生したのだった。

今週のお題「運動会」

ネット接続が設定ごとなくなる現象が起こるのでプロバイターとチャットしたら電話してって言うので電話したら繋がらなくてブロクでも更新するか、の日曜日。


運動会ね。はい。スポーツは苦手だったのでいつも応援でした。

体は弱かったけど気は強いので、負けると分かっててもちゃんと走りましたよ。しんどかったけど。いつもビリだった。
痩せて体が軽かったので鉄棒や跳び箱はできたし、マット運動もまあまあだった。逆上がりも友達に特訓してもらった。水泳は父親が水泳選手だったのでしゅっちゅうプールやら海やらに連れて行ってもらってたのでまあまあ泳げました。球技は苦手でした。特に投げるのが苦手。
そしてとにかく走るのが遅かった。特に短距離。いじめっ子(私がいじめられたのではなく他の子をいじめた場合ね)に逃げられたら絶対に追いつかないので、まず言葉で叩きのめそうとしていましたっけ。
そんなこんなで運動会ではヒーローになれなくて、でもって中学の時は運動会で全員でダンスしなきゃいけなくて。それも裸足で。中学の時は部活動でバイオリン弾いてて、それなのに髪まで砂埃だらけになるので本当にうんざりでした。どうして裸足でしなきゃならないのか、先生に詰め寄ったら、裸足の方が綺麗に見えるからだって言われました。
で、そんなある日。私は押しピンを踏み抜きました。上履きに入っていたのだったか、教室でうっかり裸足になったからか、どっちか忘れましたがとにかく踏み抜いたので、本番のダンスには出られなくなりました。
あいつ、わざと押しピン踏んだんじゃないか。って、心の中で呟いた奴、いたと思う。私もそう思った。ダンスしなくていい、ラッキー。
でも、わざとじゃなかった。ダンスもスポーツも大嫌いだけど、私はそういう人間じゃない。というか、そういうタイプの知恵はない。
で、運動会当日。ダンスに出ない代わりに駐車場の整理をやらされました。足はまだちょっと痛くて、車の排気ガスも苦手だったけど、しょうがないので渋々駐車場に行きました。
そしたら、一学年下の男子を紹介されました。一緒に車の誘導をしなさい、って言われました。小柄な彼はとても礼儀正しくて、ちゃんと挨拶してくれました。私は挨拶したっけか。・・覚えてない。
車の誘導ってどうしたらいいんだろう。立ち尽くしていたら、彼がさっと駆け出して、両手を広げて「こちらへどうぞ」って大きく朗かな声を出しました。
かっこいい。ああするんだ。
私は彼の斜め後ろで、恐る恐る手を広げていました。ちゃんと声を出せたか、挨拶できたか、全く覚えていません。
それで、高校になったら放送部に入ろう、って決めました。部活動でオーケストラをしている高校はなかったし、どのみち楽器はもういいかなーと思っていたので、音響機器を触れる放送部に入ろう、って決めました。
そしたら、私は人の役に立てる。
走るのは遅いし、ちゃんと挨拶したり誘導したりなんてできないけど、機械は得意。人前で話すのも得意。挨拶できないくせに弁論はできる。原稿も書ける。
中学に入学した時、あまりに足が遅いのでちょっとは早くなりたいと思って、一瞬、陸上部に入ろうとしてました。でも同学年に足が速くて勉強できて性格良くてっていうのが3人もいたので、諦めた。陸上部は本当に仲が良くて、ドロドロとした器楽部とは大違いだった。
でもなんでも途中で放り出すのは嫌いなので、器楽部には三年在籍しました。そこにも努力家がいて、練習嫌いの私は結局あまり目立たなかったのですが。
卒業式の日。三年生は運動場で最後の演奏を披露することになっていて、バイオリンのケースさえ重かった私は三年分のうんざりと一緒に運動場に向かってました。
そしたら、クラスメートに声をかけられた。
あれっ、あんた陸上部じゃなかったの。いつもクラスで陸上部の子と喋ってるから。
はい。三年間バイオリン弾いてました。放課後に運動場にいることなんてなかったですよ。いつも音楽室にいたですよ。
でも、ちょっと嬉しかった。
痩せているけど太腿だけしっかりしていて、中学に入学した時に「あんたはきっと足が速いから陸上部に入りなさい」って体育の先生に言われたけど、周りの友達が「こいつは見掛け倒しで足だけは遅い」ってフォローしてくれたことがある。いや、フォローじゃねえな。
そんな私のことを陸上部だって思っててくれた友達がいたのが嬉しかった。仲のいい陸上部の一員だと思われたのが、嬉しかった。
高校では放送部。やっぱり引き続き運動は苦手で、でも放送部なので機材の設定という仕事があった。スピーカー運んだりするの楽しかったな。
大人になってあの頃から体重が20キロ近く増えて、運動会に出なくてよくなって、心底ほっとしている。得意なことを好きなだけしていられる、大人になった。
そして時々、駐車場を駆け回っていた小柄な彼のことを思い出す。彼は楽しそうだった。
私はそういうことは得意じゃないけど、得意なことは他にあって、それを見つけることはできるんだってこと、彼に教わった気がする。

週末バイオリン継続中。

チューナーも買った事だし音合わせ楽勝で、週末バイオリンは続いているよ。新しいバイオリン教本の1と2を行ったり来たりしつつ少しずつ指の感覚を取り戻しているところ。

メリーさんの羊が基礎曲になってる。イギリス民謡なのね。英語だとMary had a litte lamb.過去形なんだ。

まずはシャープふたつのニ長調、D線から始めます。

D線上のメリーさん。D線は二番めに低い音で、弦が柔らかくて押さえやすいし弾きやすい。まず1の指、左手の人差し指を正確にとってから2の指、中指を押さえます。

楽譜には「もちろん楽譜に示すとおり1の指は押さえたままであること」ってあるんですが、私は指を一本ずつ押さえる癖があるのだ。しかも薬指の上に中指を重ねる癖まであるんだぞ。すごいだろ。なので全体的に音が高くなる。いかんいかん、基礎から正確に。

D線上のメリーさんをちゃんと弾けるようになったら次はA線上のメリーさん。音は高くなります。いくぶんテンポは早めに。

次はメリーさんの羊重音練習。うへえ難しい。弦を二本いっぺんに弾くということは指が弦をちゃんと押さえてないとダメってことなのよ。一本だけ弾くのなら弾かない弦に触れてても支障はないけど、重音になるとばればれ。

最後にメリーさんの羊変奏曲。D線とA線を交互に弾く。A線は開放弦でいいけど、これも難しい。ボーイングが正確でないと弾いちゃいけない弦に引っかかる。

いやあ、基礎って大事。だいぶ指の感覚が戻ってきましたよ。来週もちゃんと練習しよう。

おめでとう100刷。新しいバイオリン教本1。

暑さがちょっと落ち着いたので週末バイオリン再開。何年振りかで楽譜買いました。

音楽之友社の新しいバイオリン教本1。第1刷はなんと1964年6月20日。私と同い年ですわ。そして今回買ったのは2018年4月30日、記念すべき第100刷版です。ぱちぱちぱち。

音楽之友社って東京新宿神楽坂にあるのですね。かっこいいやなんか。東京の地名ってかっこいいよなーやっぱなー。

序文も昭和39年になってます。中の写真や解説もしっかりしているので、初版のまんまなんでしょうね。バイオリン持ってるセーラー服の女の子、可愛いです。ショートカットかっこいい。小磯良平の女子学生みたいです。

バイオリン各部の名称。直訳でなくちゃんと日本語になってます。先っぽのぐるぐるってなってるところ、うずまきっていうのです。古い小学校の手摺みたいなの。

でも、ボーイングは英語なのな。弓の上げ下ろしのことです。確かに日本語にするのは難しいなあ。

バイオリンで一番難しいのはボーイングです。ピアノだと鍵盤をポンとすればとりあえず音がするけど、バイオリンはまず構えて、弦を左の指で押さえて、右手で弓を持って、駒とまっすぐになるようにボーイングしなくちゃならない。

でもね。できると楽しいのよ。

幼稚園くらいからピアノを習ってました。そんなに下手じゃなかったと思う。中学の部活動でバイオリン、高校からは独学でギター、すぐ弾けるようになったけどアルペジオ止まり。

バイオリンは、自分が弾いてる弦、自分が押さえている指の先を見ることができる。見ながら弾いてもいいの。楽器の向こうに楽譜があるから。

ピアノは手元ばっかり見ていたらかっこ悪いし、ギターも猫背になっちゃってブサイクだし弾きにくい。指先で鍵盤の位置や弦の感覚を覚えないとうまく弾けない。

バイオリンは自分の左手を見ていてもいい。もちろん指の感覚も大事だけど、手の形をチェックしながら弾いてもいい。

ボーイングが上手にできるようになったら、いろんな曲を弾けるようになります。

そうそう、バイオリンはチューニングも結構大変。

しかーし。今はいいチューナーがあります。楽譜と一緒に買ったのはYAMAHAのTD-19BK。黒くて小さくて、ああ、可愛い~~。

中学の部活動でもチューナーは使ってましたが、みんなと一緒に使わなきゃいけないので取り合いでしたというか順番待ちでした。弁当箱くらいあって、重くて、電源コードが長々とついていて、ダイアルをばちばちって合わせて、マイクの前で基本音を出してました。

それに比べてTD-19BK、譜面台にちょんと乗せることができます。基本音を出すこともできる。ダイヤル回して音を合わせなくていい。というかダイヤルついてません。小さい白いボタンがついていて、簡単操作。

いい時代になったなあ。ってことで、また練習します。

これはテレビゲームの話なのね

今週のお題「ゲームの思い出」

1983年にファミコンですか。そうですかー。最初に買ったテレビゲームはアタリです。見た目はかっこよかったけど、すぐに壊れたのでファミコン買いました。テレビのアンテナに繋いでしてました。目が疲れるので長いことできませんでした。

次はパソコン。NECの88シリーズでゲームです。ほとんどキーボードを使わなかったという。フロッピーディスクのでっかいやつを買ってきてぐいっと差し込むのですよ。カセットテープにバックアップできる程度のデータ量でしたね。

友人が働いていたゲーム会社に出入りしていたので、社員旅行に格安で連れてってもらったりしました。ハワイでした。海外旅行はそれきりしてません。バブルな時代だったのね。

ファミコンの次はスーパーファミコンディスクシステムも買いました。ミニゲームが500円で買えました。あれは楽しかったなあ。ウルトラマンが出てくるやつとかさ。

次はプレイステーション。CDにゲームが入ってるの。ゲームフェスとかあったなあ。デモ版をもらって嬉しかった。ソニーのゲームが一番好きだ。DSはあるけどあんまりしたことない。ゲーム機が小さくなって画面が小さくなるとしなくなりました。

そんなこんなで昭和も終わり、ネット社会がやってきます。Macに出会ったのが1997年。さめがめ好きでした。でもねそれくらいからゲームしなくなりました。

どうも私は小さな画面が好きでないらしくて。携帯はいまだにPHSNicoだもの。メール打つの嫌いですもの。

ゲームそのものは下手ではないです。シューティングとかうまい方だと思います。パズルとかも早いし、落ちゲーは得意です。

年取ったからかなあ。視力は落ちてます。

でもそれだけじゃない。

仕事が、ゲームみたいになったんですよ。

大量のデータを落としてきて色々いじる。ツール作ったりマクロかましたり。グラフにすることもあるしテキストに戻してデータベースに入れることもある。

今はしてないけど、在庫管理で時間が決まってることもあったしね。毎日締め切りなのよ。今思えばあんなに急いで入力する必要は全くなかったんだけど、金曜なんか三日分入れるのでハイになったりしました。

今回の仕事のデータは時系列にも絡むので、ほんとゲーム感覚。どんなキーで絞るかで出てくる結果が変わってくる。

人生はゲームじゃないけど、仕事は結構ゲーム。

今週のお題「2018年上半期」

しばらく書いていませんねどうしましたかメールをもらってしまった。

遅ればせながら、「チョコミント」書きます。

そういえばいつもチョコミントだった。

駅前のアイスクリーム屋で友人がアルバイトしていて、公務員だった私は電車を一つ乗り越して友人の顔を見に行っていた。友人は浪人中、私は受験に失敗して滑り止めの地方自治体にブツブツ文句言いながら通っていた。

いつもチョコミントやな。友人は言う。うん。好きやもん。水色のミントの中にチョコレート。けったいな組み合わせやな。うん。美味しいで。

ミントの水色がチョコの色と混じっていく。ミントの清涼感は嘘くさくて、甘過ぎるチョコはそれでも苦くて。

宙ぶらりんな十代の終わりにふさわしい気がした。

それから10年後私は学士になり、友人も先月大学を卒業したはずだ。

あの駅は古いけれど風格があって格好良かったのにどこにでもある駅舎になり、駅前は相変わらず景気が悪い。私は公務員は五年で辞めて、間にフリーターやら何やら挟みつつ、ハケンになってもう10年過ぎた。

あの駅のある町は相変わらず退屈で、実家に帰ってもちっとも落ち着かない。友人は地元のいい感じに優良な会社の社員になった。

もうチョコミントでもないかな。

アイスクリームの自動販売機の前を通り過ぎながら思う。今働いている会社は割と気に入っている。体の奥からふつふつ湧いてくる苛立ちを治めるために舌を冷やさなければならないほどには、機嫌は悪くない。それに、歩きながらアイスクリーム食べられるほどにはもう若くないし。

でも、忘れたくはない。田舎町でくすぶっていた頃、何を話すでもなく訪れた店先でアイスクリームを掬ってくれた友人の笑顔と。その他にも、もう顔も名前も忘れてしまったけれどわがままで勝手な私と友達でいてくれた、意外に大勢な人たちと。

 

そういえばというか。

その友人と週末に会う約束してたんだけど、電車走るのかな。

今週のお題「修学旅行の思い出」

小学校は伊勢。三重県ですな。母の実家が三重県にあるので、祖母が見送りに来てくれました。母の実家は商家でお米屋なんだけどその頃はお花も扱っていたのです。だから立派な花束もらいました。

まだフラワーアレンジメントなんて洒落たものがなかった時代で、レース柄の透明なセロハンに守られて、大きな紅色のガーベラや可愛いマーガレットがこっち向いてました。

でも私は写真があんまり好きじゃなかったので花束を持った写真はあんまり残ってません。代わりにというか、担任の先生がまるで自分のもののようにして写真撮ってました。学校の先生ってやっぱり大人気ないなあって思いました。

その頃は体が弱かったのでたった一泊の旅行でも疲れ切ってしまって、駅まで迎えに来てくれた母が漕ぐ自転車の荷台で眠ってしまいそうになったのだけよく覚えています。

中学は九州。長崎です。こちらも父の実家があったところです。だいぶ前に神戸に出て来ているのでお見送りはありませんでしたが。

普通の観光旅行です。新幹線です。九州に行くのは初めてで、博多ってどんなとこだろってみんなでワクワクしていたら普通の都会で、みんな一斉にちょっとがっかりしてました。

小学校の頃より少し丈夫になりましたがバスには酔うので、酔わないようにバスの中で大騒ぎしてました。お土産に買ったドライフルーツのパイナップルが美味しくて、気が付いたら全部食べていました。

高校はスキー。長野です。夜行電車で行くのです。スケートはしたことありましたがスキーは初めてでした。体育の授業の延長でした。

大きなお寺の境内を散歩していたら大きくて美味しそうな林檎が売られていたので試食したら薔薇の香りがしてすんごく美味しかったので一個買いました。バスの中で歌を歌いながら丸かじりしました。

修学旅行じゃないけど高校の友達や後輩と一緒の旅行もしました。淡路島です。橋が架かる前なので船で行きました。海水浴の予定が台風が来て散々でした。しかも泳げないので昼間から酒盛りして、私だけ二日酔いでした。すみません。

夏は家族で海水浴したり親戚とキャンプしたり、子供の頃の夏は旅行ばっかりしてました。だから修学旅行はちょっと窮屈でした。

でも多分、みんな口にはしないけどあれが最後の旅行になった友達が何人かいて、その時はもちろんそんなことは想像もしていなくて、修学旅行というとそれを思い出して、ほんのちょっとだけ、悲しくなります。