Unknown@Presence

色々あれこれ。

先生なんて幻想。

今週のお題「わたしの春うた」

春になるとどうしても思い出してしまう歌。「贈る言葉」。

金八先生の最初のシリーズ放送時、私は高校一年生だった。教師たちは生徒と交流を持ちたがっていて、真剣にあのドラマを見ていたらしい。高校一年の三月、クラスみんなで歌わなきゃいけなかったよ。別になんも嘆いてないのに。

あれは恐怖だったなあ。先生たちが寄ってたかって自分の自己満足のために子供産ませるんだもん。あのドラマ出身の俳優たちがどうなったか、別にここで私が並べ立てなくてもみんな知ってるよね。国会議員になっちゃったのまでいたね。

現場の先生たちは迷っていたんだと思う。どうやったら生徒を指導できるのか。冷めた顔をして黙々と勉強する新人類の高校生たちを、どうやって導いていったらいいのか。

でもね。学校の先生の導きなんていらないのよ。導きっていうのは、道を知らない人もためにあるものなのよ。指導っていうのはどっち向いたらいいかわかんない人たちのためにあるものなのよ。親がちゃんと面倒を見ていなくて、毎晩ふらふら歩き回ってるような子供達のために指導とか補導とかいうのがあるのよ。

80年代の始まり。バブルの始まり。私たちには道があったね。大学に行けばそこそこ就職できた。女子もわりと会社員になっていた気がする。ハケンとか非正規とかいう概念はあんまりなかった。大学を出ていればそこそこ就職できた。そして男子は就職さえできればなんとかなったし、女子もそれなりに就職したり結婚したり。子供産んでから職場復帰したりしてる。

誰も自分探しなんてしてなかった気がするし、空気も読んでなかったし。いい歳こいて女子会なんて言ってなかった気もする。覚えてないけど。男子は大学から家を出るのが多かった。女子はあんまり一人暮らしはしてなかったけど、その代わり自宅通勤の時代はここぞとばかりにお金使い荒い。でも結婚したらお金の管理はきっちりする。

まだ携帯もなかったしSNSもなかった。けど、夜の街をふらふらして補導されたり犯罪に走ったりする若者は一定数いた。家出する子もいたな。直接は知らないけど。

どんな時代にもふらふら出歩く子はいる。そんな子達を本当に心配する人と、食い物にしようと近よる人がいる。それを全てひっくるめて、太り過ぎの金魚みたいな女の子たちは、「大人は分かってない」と称する。誰も自分の事は分かってくれない、友達なんていらない。自分は他の子たちとは違うんだ、と束の間優越感に浸る。

分かっている。彼女たちは分かっている。自分たちが人目を引けるのはほんの束の間。十代の前半から後半まで、せいぜい18歳まで。売り物になるのはそのくらい。その間だけちょっと冒険してみる。知らない人、初めて会う人に親切にしてもらう。出会いはいつも新鮮でドキドキ。親も知らない秘密の探検。危険なこともあるけど、優しい人もいる。でも私は次に進むんだ。胸を張って前に進んでいく。

だって私は売れるんだもの。他の子たちとは違うんだもの。同じクラスの男の子なんて子供っぽくてお金も持ってなくて退屈なんだもの。

彼女たちはどうなるんだろう。売れなくなったら、歳をとったら、どうなるんだろう。

彼女たちにこそ贈りたい。優しさは臆病者の言い訳。涙枯れるまで泣く方がいい。

彼女たちはどこに行くんだろう。春になったら、18歳を過ぎたら。どこかに寝るところはあるんだろうか。