母の実家は米屋である。今は花も扱っている。米屋の前は自転車屋で、母の母の実家は売り酒屋だったそうだ。
そんな母の実家は遠くにあった。国鉄を何回も乗り換えてディーゼルの特急に乗っていく。東海地方と近畿地方の境目にあり、江戸時代からほとんど人口が変わっていないという、小さいけれど歴史のある町だ。
改札を出てタクシーに乗る。乗り物に弱い私はその頃にはすっかり疲れ切っている。母の母、祖母は私を熱烈歓迎する。
けれど商家なので歓迎は長くは続かない。母は一日中客の相手をしなければならない商家を嫌って公務員の父と結婚したはずなのに、実家ではたちまち娘に戻って商売を手伝い始める。
脱穀の糠の香りが漂う店前から、裏の座敷で荷物を下ろす。遊べる服に着替えたら、土間を通って台所で水を飲み、そのまま中庭から裏の畑に抜ける木戸を開ける。
丸っこい茶の木や大根や鷹の爪、柿の木に出迎えられながら離れの前を通ってまっすぐ坂をくだる。
遠くに行ってはいけないよ。そう言われなくても、方向音痴の私は知らない道では角を曲がらないことにしていた。私が育った町は坂がほとんどなく、山も見えない。小高い丘の上にある母の実家は、坂をくだるだけでも十分に冒険だった。
雨が降ると、外には出ずに家で遊ぶことになる。
店先には米の袋がたくさん積み上げられていた。誰が言い出したのだろう、いや、きっと私が自分で思いついたのだ。
米の袋の上に登って、遊んだのだ。
米は、踏むとしっかりと足の裏を受け止める。とても踏み心地がいいのだ。乗り物には酔うくせに高いところが好きな私は、米の山によじ登り、あるいは米の上に飛び降り、飽きずに遊んでいた。
遊んでいたことを叱られた記憶はない。
しかしある日、気づいたのだ。
私はお米を踏んでいる。
なんてことを。なんてことを。
ああ、罰が当たってしまう。
しかし罰は当たらず、すぐに他の遊びを見つけて、お米のことは忘れてしまった。
すっかり大人になって、祖母も亡くなって、母の実家には長らく訪れていない。
今更ながら、あの時の罰当たりな遊びが足の裏に蘇る瞬間がある。
ああごめんなさいお米の神様。もうしません。