Unknown@Presence

色々あれこれ。

お母さん。

 

電車の中で本を読む人、意外に多いのね。電子書籍のこともある。

電子書籍の文字は大きいので、遠くからでも見える。覗き見するつもりはないけどちらっと見えちゃった。「母が目に涙をいっぱいためて」睨みつけてくるんだって。認知症の話みたいだな。

ドアのところに並んで立っている、背格好も年齢もよく似た二人。文庫本にカバーをかけて読んでいる。「母と同じような」服装をしている女性がいたので思わず振り返ってしまった。「母のことばかりかまけて」いるわけにはいかないけどどうしようもない。

三人連続で母について読んでいる人を見かけてしまったわけで。小説でまで母に会いたいのか、それとも世間の母のことを知りたいのか。

日本の一般的な母親観っていうのはもう分かりやすくて、働き者で丈夫で朗らかでちょっとおっちょこちょいで。バリバリのキャリアウーマンなんてことはない。

ていうか、このキャリアウーマンてのも古いよなあ。ちなみに、水色のランドセルの女の子が大事そうに抱えていたのは「竜巻のふしぎ」。よかった。畦道も「火山のふしぎ」とか「恐竜のふしぎ」とか好きだったよ。

畦道にも母親はいて、似ているところがないわけじゃないけど全部じゃない。家事系のことは大体好きで、でも多分私の方が手が早い。母は専業主婦で、たっぷり時間があるからだろう。私は煮物は電子レンジで下ごしらえするし里芋は皮ごと蒸したりするけど、母は里芋が冷凍に限ると言う。調理器具も私は最低限しか持たないけど母は台所の棚が溢れて父の本棚を占拠してもまだ足りないくらい食器を溜め込んでいる。

それでもまあ、そんなにやりにくい母親ではないと思う。畦道は自分でアパートを探して家出同然に家を出てそのまま戻ってない。両親は最初のうちはアパートにやってきて帰れ帰れ言ってたけど一年くらいで諦めた。今では分譲マンションに住んでいる。そんな行動力や自活力を持てたのは母がちゃんと育ててくれたからだ。

それでも、母みたいになりたいわけじゃない。ならなくていいと思う。

母親だから分かっている、娘だから当然だ、それは違う。人は変わるし、誰かのことを全て理解できるわけじゃない。

母親も人間だ。気分の良くないこともある。特に子供に愛情を注いできた人は子供が一人前になると自分が役に立たないような気がしてとても落ち込むのだという。

自分の母親として理解しようと努力するより、そのまま一人の女性として見ればいい。自分より数十歳年上の、子供の頃からよく知っている女性。顔は自分と似ているけれど、違う人格の女性。そう考えると、見えてくることがある。

先生なんて幻想。

今週のお題「わたしの春うた」

春になるとどうしても思い出してしまう歌。「贈る言葉」。

金八先生の最初のシリーズ放送時、私は高校一年生だった。教師たちは生徒と交流を持ちたがっていて、真剣にあのドラマを見ていたらしい。高校一年の三月、クラスみんなで歌わなきゃいけなかったよ。別になんも嘆いてないのに。

あれは恐怖だったなあ。先生たちが寄ってたかって自分の自己満足のために子供産ませるんだもん。あのドラマ出身の俳優たちがどうなったか、別にここで私が並べ立てなくてもみんな知ってるよね。国会議員になっちゃったのまでいたね。

現場の先生たちは迷っていたんだと思う。どうやったら生徒を指導できるのか。冷めた顔をして黙々と勉強する新人類の高校生たちを、どうやって導いていったらいいのか。

でもね。学校の先生の導きなんていらないのよ。導きっていうのは、道を知らない人もためにあるものなのよ。指導っていうのはどっち向いたらいいかわかんない人たちのためにあるものなのよ。親がちゃんと面倒を見ていなくて、毎晩ふらふら歩き回ってるような子供達のために指導とか補導とかいうのがあるのよ。

80年代の始まり。バブルの始まり。私たちには道があったね。大学に行けばそこそこ就職できた。女子もわりと会社員になっていた気がする。ハケンとか非正規とかいう概念はあんまりなかった。大学を出ていればそこそこ就職できた。そして男子は就職さえできればなんとかなったし、女子もそれなりに就職したり結婚したり。子供産んでから職場復帰したりしてる。

誰も自分探しなんてしてなかった気がするし、空気も読んでなかったし。いい歳こいて女子会なんて言ってなかった気もする。覚えてないけど。男子は大学から家を出るのが多かった。女子はあんまり一人暮らしはしてなかったけど、その代わり自宅通勤の時代はここぞとばかりにお金使い荒い。でも結婚したらお金の管理はきっちりする。

まだ携帯もなかったしSNSもなかった。けど、夜の街をふらふらして補導されたり犯罪に走ったりする若者は一定数いた。家出する子もいたな。直接は知らないけど。

どんな時代にもふらふら出歩く子はいる。そんな子達を本当に心配する人と、食い物にしようと近よる人がいる。それを全てひっくるめて、太り過ぎの金魚みたいな女の子たちは、「大人は分かってない」と称する。誰も自分の事は分かってくれない、友達なんていらない。自分は他の子たちとは違うんだ、と束の間優越感に浸る。

分かっている。彼女たちは分かっている。自分たちが人目を引けるのはほんの束の間。十代の前半から後半まで、せいぜい18歳まで。売り物になるのはそのくらい。その間だけちょっと冒険してみる。知らない人、初めて会う人に親切にしてもらう。出会いはいつも新鮮でドキドキ。親も知らない秘密の探検。危険なこともあるけど、優しい人もいる。でも私は次に進むんだ。胸を張って前に進んでいく。

だって私は売れるんだもの。他の子たちとは違うんだもの。同じクラスの男の子なんて子供っぽくてお金も持ってなくて退屈なんだもの。

彼女たちはどうなるんだろう。売れなくなったら、歳をとったら、どうなるんだろう。

彼女たちにこそ贈りたい。優しさは臆病者の言い訳。涙枯れるまで泣く方がいい。

彼女たちはどこに行くんだろう。春になったら、18歳を過ぎたら。どこかに寝るところはあるんだろうか。

 

 

私の一人暮らし、って、一人暮らしはしたことありません。

というわけで。友人の下宿に転がり込んだことはありましたよ。

そこは学生用の離れで、小さいながらも庭があって、なかなか良い雰囲気でしたよ。さすがは京都でした。

みんな良い子ばっかりだったなあ。当時は大学受験に失敗して滑り止めの公務員で小遣いはいっぱいあるんだけど神戸で腐っていた私には、女子大生はキラッキラして見えましたなあ。

豚肉とほうれん草に醤油と日本酒をぶち込んだ鍋で酔っ払ったり。ロールキャベツ作ろうとして失敗したり。

でも畦道は腐ってばかりではないのです。東京の女子大生になりましたよ。通信制なのでウィークリーマンションで一ヶ月だけ一人暮らし。その頃は働いていないのに何故か食べていけたので勉強時間はたっぷりありました。

一年目は上野。夏なので花火見ました。次の年からは世田谷。二年目からは友達と一緒のマンションにして、夜ご飯食べたり一緒に勉強したりしました。地方のスクーリングも楽しかった。博多はご飯が美味しかったなあー。名古屋は人が面白かった。香川もよかった。橋渡った。東京は電車の便が良い。

結局「一人勉強」程度で厳密な意味で一人暮らしはしていないけど、短い楽しいひと時でした。

今週のお題「ホワイトデー」

そうかあ、もうそんな季節になるんだねえ。

ホワイトデーにバレンタインのお返しをするんだっけね。ってことは男子から女子か。

好きな子にはマシュマロ、友達でいましょうはキャンディ、嫌いですはガムっていう掟があった気がする。だからって本当にガムを渡す男子がいるかいないかは知らん。

クラスでどの子がどの子を好きかっていうのは、私のような色気のない高校でも話題になった。校則で男女交際禁止なんていうバカな項目があっても、そこは先生も人間なので、先生にあげるチョコレートは禁止じゃなかった。

だからって女の先生はマシュマロもらってなかった気がするね。

そういえば中学の時は談合したわ。私が数人の男子に安いチョコレートあげるから、代わりに袋入りの飴をもらえる、っていう。私が言い出したのかな。どうだったけ。その数人の男子はチョコレートをもらえそうになかったから、頼みやすい私に頼んだのか。よく覚えてないけど、イチゴ味やコーヒー味やパイナップル味の飴をいっぱいもらって友達や妹と分けたっけ。

甘酸っぱい思い出ですか。そうでもないわ。

チョコレートをあげたことはあるし、お返しももらった気がする。でも中学の談合以外では、お返しは飴じゃなかった気がする。気がするのは、覚えてないから。ネックレスとかペンダントとか、結構高いものもらった気がするのよ。

あ。そうか。私三月が誕生日だった。誕生日とホワイトデーがコミになってたのか。そうか。それは苦い思い出か。そうでもないな。

今週のお題「受験」

はい。受験の思い出。思い出というより失敗。

共通一次って知ってるか。5教科7科目だ。英語数学国語、社会は2科目理科も2科目。恐ろしいだろ。そうさ、でもできるやつはできるから1000点満点で900点とか取りよるんだこれが。

んで私は650点くらいとって二次試験で頑張ったら通るかな程度の大学を目指していたので、そんなに勉強せんでもよかった。

はずだったのよ。

英語は苦手。勉強したことない。どうせどんなに勉強したって6割取れればいい方。けど半分は必ず取れるから放っておく。

国語は好きでも嫌いでもない。現代国語とか嫌い。特に明治時代とか。でも漢文は得意でいつも満点だった。古典もまあまあ。そんなに勉強しなくても7割近くは取れる。だからそんなに力入れない。

社会は苦手。暗記嫌い。これも7割は無理だけど、まあなんとかなるし。自分理系だし。放っておく。

理科は好き。生物と物理。生物は7割確実、物理も一番得意なので下手したら8割行くぞ。楽勝。

数学。本丸。特に共通一次は一番得意な数学一。ローマ字ね。もしかしたら8割くらい取れちゃうかもねふふふ。

の、はずだった。

数学、三本の直線が交わってる。その中の面積を出して、あれこれ代入していく。好きだよ一番。ふんふんふーん。鼻歌。もしかして9割いくかもよー。待ってろチョメチョメ教育大学。

しかし。

三角形の面積を二分の一するのを忘れた。

正解は11分の27。けど私は11分の54を代入していったのだ。

だってさ。選択肢にあったんだもの。全部解けたもの。二分の一しなくても。

あああ。

というわけで、冒頭の問題を全部見事に間違えたので、130点もなかった。全体では600点を少し超えたくらい。英語が割とできたのに生物が悪かった・・

というわけで、二次は受けず、いったん就職。結局文系の私立に行き直すことになる。

二分の一を忘れていなくても、大学は落ちたかもしれない。大学に行ってても結局は派遣社員になっていた気がする。

でもな。あの時の私の隣に立てたら、こう言ってやりたい。

三角形の面積は底辺かける高さかける二分の一やで。

お題「演奏できる楽器」

多分一番上手なのは縦笛かと。アルト笛ね。息を抜くのが得意。でもさ管楽器は冬はツユが垂れて嫌なのね。

ピアノは習っていた。唯一の習い事だった。小さい頃は体が弱かったので外に行くとすぐ風邪ひいた。痩せて体力がなかったのでスポーツは苦手だったです。その代わりと言ってはなんだが気が強いし割と器用なので楽器には向いていたのだろう。

でもさ練習は好きじゃなかった。楽譜を読むのは好きだったけど、暗譜とか面倒だった。とか言いながら中学の三年間はバイオリンを弾いていたのだよ。

友達がみんなそこにいたからね。器楽部に入らないとほとんど友達いないんだもん。

とか言いながら陸上部の子と仲良しで、卒業の演奏会にバイオリン持って歩いていたら、「あれっあんた器楽部だったの、陸上だと思ってた」って言われた。その程度の腕前だったってことさ。

ギターもちょっと弾いた。これはもう下手としか言えない。それをごまかそうとして歌うともっと酷くなる。自作の歌なんてあなた。そりゃもう。

でもさ、楽器の演奏は楽しいよ。練習は嫌だけど。バンドもちょっとだけやってたな。弾いているうちに音が下がってくるエレキギターとか、空きカンに布巻いたドラムとかでレコーディングしたっけ。

楽器を演奏できる機会があったら、ちょっと集中してみるといい。時間のある学生時代がいいね。セコセコバイトするくらいなら、友達の家で好きな曲がそこそこ弾けるくらいまで集中してみるといい。

とか言いながら、もう何年も何も弾いていないのだけど。

 

お題「コーヒー」

職場のコーヒーはインスタント。粉末のじゃなくて、液体のね。本当はアイス用らしいんだけどそれをホットで作る。あっさりしていて美味しいよ。

朝食のコーヒーはレギュラー。同居人に入れてもらう。時々自分でも入れるけど、なんか美味しくない。うまく言えないけど、濃さは同じはずなのになんか味気ない。

それはお味噌汁でもそう。自分で作ったお味噌汁は味気ない。材料も一緒のはずなのに、お味噌も一緒のはずなのに、なんか間抜けな味。

同居人は煮物とか蒸し物とか上手。お湯や水蒸気を扱うのがうまい。私は揚げ物が一番得意で、次は焼き物、炒め物と続く。カリッと揚げたりパリッと焼いたりするのが好きなんだ。

だからかな、私は植物を育てるのもうまくない。ちょっと前まで元気だった観葉植物、なんかしなっとしてる。気になってずっと見つめてしまう。

気にするな。しばらく放っておきなよ。同居人は言うけど、私はできない。そばについていないと心配。結果が早く出ないと心配。

揚げ物は早くできる。長くても3分、早いと1分。焼き物も焼き過ぎは禁物。外側に焼き色がつけばあとは余熱、切ってみて生焼けだったらもう一度さっと焼けばいい。

だからコーヒーも上手に入れられないのかな。早すぎるのかも。自分では蒸らしているつもりでも、焦りすぎなのかも。

ポーションのコーヒーがお似合いなのかもね、私みたいなイラチには。