Unknown@Presence

色々あれこれ。

手の届く範囲。

今週のお題「わたしの部屋」

初めて自分の部屋を持ったのは中学生になってから。建て増しした二階の一部屋。それまでも子供部屋はあったけれど、二段ベッドで妹と同じ部屋だった。
両親は子供に一つずつ部屋をあてがいたかったのだと思う。さらに二階を建て増しして3部屋になってからはそれぞれが子供部屋になった。
広くて明るくていいね。遊びに来た友達は言ったけれど、私は自分の部屋だと思ったことはない。
和室で、大工の腕が悪くて東の窓はちゃんと開かない。畳が一部浮かび上がっていて、レコードをかけている時に歩くと針が飛んだ。KISSをかけていると父親が飛んできて、でも西洋の音楽は怖いので、部屋に入ってこずに文句を言う。親が買ってきた箪笥は引き出しの滑りが悪くて使い物にならない。
大学受験に失敗したのは父親のせいでも部屋のせいでもなく、自分が勉強しなかったからだと分かっていたので、滑り止めの地方公務員の給料を貯金して家を出た。

駅に近いけれど古い古い木造アパート。台所の窓の目の前に隣のアパートの窓があって、食事時には必ず赤ちゃんが泣いていた。クーラーを買うまでは恐ろしく暑くて、ダラダラ汗をかきながら無理やり寝ていた。
そんなアパートなのに友達は遊びに来て、パソコン用のちゃぶ台と炬燵をくっつけて長テーブルのようにして手作りの焼き豚やらつけ麺(バスタ)やらを並べて酒盛りをしていた。
小さな冷蔵庫の冷凍室ではアイスクリームが溶けるので、スーパーからの帰り道に公園のベンチでアイスクリームは食べ切るのが決まりだった。
南側にくっついて建っていたアパートが取り壊されたので、うちもいつ取り壊されるんだろうと思っていたら、そこには一戸建てが建った。

お風呂が水漏れしたので、歩いて行ける距離のアパートに引っ越した。端部屋で風通しが良くて、またもや友達が遊びに来た。友達は朝まで飲んでいたくせに、さっさと起きて綺麗に化粧してバーゲンに出動していくのだった。OLの鑑。
アパートのくせに台所が広々としていたので、寝るところと食事するところが別になった。近所にいい酒屋と肉屋があって、ついでにワインの自動販売機もあって、赤ワインを買い出しに行ったりしていた。

なんだかんだでまた引っ越した。新築のアパート。窓の下にはレンゲが咲いていて、ちょっと歩くと美味しいレストランやケーキ屋、和菓子屋もあった。山の麓なので雉がいた。桜がすごかった。スミレが固まって咲いていた。中国道が近くて車はうるさかったし、クーラーは捨ててしまったので夏は暑かったけれど、近所の電気屋に涼みに出掛けていた。フローリングはいいな、と思った。

わりとすぐに引っ越した。今度はマンションを買った。海が見える。山も見える。風通し抜群。もちろん日当たりも良い。3LDKになった。二十年ぶりくらいにしょうがないので働こうと思っていたら歩いて行ける所に外資系の会社があることを教えてもらえた。
友達はみんな結婚したりどこかに行ったりしたのであまり来なくなったけれど、東の部屋でリモートで仕事している。ご無沙汰していたバイオリンも弾いたりしている。

久しぶりに実家に帰った。私が出てからも建て増し改装は続いていて、けれど雨戸の建て付けは直さないので、せっかく東と南に向いている縁側の雨戸はほとんど閉まっている。
すっかり物置になっている二階には上がる気もしない。誰も弾かないピアノは、もうほとんど音は出ないだろう。食器棚になった本棚は狭い台所をますます狭くし、一階の最初の子供部屋には石油ストーブと室内乾燥機と電気ストーブが並んで足の踏み場もない。

子供の頃、小学校に上がる前。
一階の北、狭い板張りの子供部屋にはスチールの本棚と古い文机があった。
夏休み、床に足を投げ出して冷やしながら、スチールの本棚にもたれて百科事典を眺めていた。みみず。われもこう。一番最後の巻の背表紙だけ、妙に覚えている。みみず。われもこう。

みみずも、自分の部屋が欲しいだろうか。暗い湿った土の中で、あれやこれやと望むだろうか。
みみずにとって、自分の体が進んだところまでが部屋なのだろう。
私が自分で部屋を選んできたように、みみずも進む道を選べるのだろう。きっと。